So Fishmans!(my fishmans life)


"변하지 않는, 그러나 지금까지와는 어쩐지 다른 20년 째" 츠지무라 형제 인터뷰 + 아티스트들의 코멘트



키세루, 20주년 축하!


호소노 하루오미, 사이토 가즈요시, 사카모토 신타로, 나카노 요시에(EGO-WRAPPIN'), 소카베 케이치 등 아티스트 15팀이 전하는 축하 메시지




키세루(キセル)가 8월 21일 결성 20주년을 기념한 2장짜리 베스트 앨범 『Kicell's Best 2008-2019』를 릴리즈. 9월 16일에는 세 번째 도쿄 히비야 야음 대음악당(日比谷野音大音楽堂)에서의 원맨 라이브를 개최한다.


1999년 활동을 시작. 츠지무라 다케후미(辻村豪文 / Vo, G)와 츠지무라 토모하루(辻村友晴 / B)의 형제로 이루어진 키세루는 20년이라는 긴 시간 동안 마이 페이스이면서도 퀄리티가 높은 음악을 발표해 왔다. 음악 나탈리(音楽ナタリー)는 키세루의 결성 20주년을 기념하기 위해, 지금까지와 지금부터에 대해 츠지무라 형제와 인터뷰를 실시, "결성", "메이저 데뷔", "카쿠바리듬 이적", "20주년", "형제", "향후"라는 6개의 키워드를 중심으로 두 사람의 이야기를 들었다. 특집 후반에는, 호소노 하루오미(細野晴臣), 사이토 가즈요시(斉藤和義), 사카모토 신타로(坂本慎太郎), 나카노 요시에(中納良恵, EGO-WRAPPIN'), 소카베 케이치(曽我部恵一)와 같은 키세루와 인연이 있는 아티스트 15팀이 보내온 축하 메시지를 함께 실었다.



취재/글 마츠나가 료헤이(松永良平)

일러스트 시리아가리 고토부키(しりあがり寿)



(천천히 번역하겠습니다... 9/11)



<츠지무라 형제 인터뷰>


"키세루 결성"


"메이저 데뷔"


"카쿠바리듬 이적"


"20주년"


"형제"


"향후"



<키세루 20주년에 보내는 아티스트들의 코멘트>


王舟


折坂悠太


蔡忠浩(bonobos)


斉藤和義


坂本慎太郎


佐藤良成(ハンバート ハンバート)


曽我部恵一


髙城晶平(cero)


つじあやの


中納良恵(EGO-WRAPPIN')


福富優樹(Homecomings)


藤原さくら


細野晴臣


馬渕啓(OGRE YOU ASSHOLE)


mei ehara





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キセル|変わらない、でも今までとはなんとなく違う20年目 キセル、20周年おめでとう。細野晴臣、斉藤和義、坂本慎太郎、中納良恵、曽我部恵一ら アーティスト15組から寄せられた祝福メッセージ



キセルが8月21日に結成20周年を記念した2枚組ベストアルバム「Kicell's Best 2008-2019」をリリース。9月16日には3度目となる東京・日比谷野音大音楽堂でのワンマンライブを行う。


1999年に活動を開始した辻村豪文(Vo, G)と辻村友晴(B)の兄弟からなるキセルは、20年間の長きに渡りマイペースながらもクオリティの高い楽曲を発表し続けてきた。音楽ナタリーではキセルの結成20周年を記念して、これまでとこれからについて辻村兄弟にインタビューを実施。「結成」「メジャーデビュー」「カクバリズム移籍」「20周年」「兄弟」「今後」という6つのキーワードをもとに2人に話を聞いた。特集後半には、細野晴臣、斉藤和義、坂本慎太郎、中納良恵(EGO-WRAPPIN’)、曽我部恵一といったキセルとゆかりのあるアーティスト15組から寄せられた祝福のメッセージを掲載している。


取材・文 / 松永良平 イラスト / しりあがり寿



辻村兄弟インタビュー

キセル結成

キセル

──ベストアルバム「Kicell's Best 2008-2019」の発売を契機に、キセルのことをちゃんと知るというリスナーがまた増えるタイミングでもあると思うので、今回はキセル20周年の始まりの話から改めて聞きます。まずは結成のいきさつから。

辻村豪文 結成は1999年の春です。

辻村友晴 春やったかなあ?

豪文 友晴さんが高校の卒業旅行で大怪我して「できひんかも」って思ったのを覚えてるので。その旅行の前に声をかけたんだと思います。

友晴  厳密に「一緒にやろう」って言われたのかは、あんまり覚えてないですけど。「あのとき言われたのがそうだったのかなあ?」って感じ(笑)。

豪文 友晴さんはそういう印象だったかもしれんね。弟が高校生のときに宅録をちょっと手伝ったことがあって、その作業が面白かったというのもあったんですけど、僕がそれまでやってたバンドをやめるのが決まって、それで弟に手伝ってもらおうと。1人で何かをやろうとはあんまり思ってなかったんです。当初はなんとなく自分の宅録の再現をライブでやれたらと思って、声も似てるし、弟はベースを弾いたことなかったんだけど、練習すればできるかなと思って。初めてのライブが4月29日、昭和天皇の誕生日で祝日でした。KBS京都がやっている交通安全キャンペーン「かたつむり大作戦」のイベントにソロで呼んでもらったときに2人で出ました。

──友晴くんが高校時代に宅録をやっていたのは、兄さんの影響?

友晴  そうですね。同じ部屋やったんで、兄さんの鍵盤があって、カセットMTRがあって、ディレイとかの機材があって、マイクが床に落ちてて(笑)。それで自分でも宅録をやってみました。そもそも兄さんの見よう見まねで音楽を始めたところはありました。

豪文 弟は最初、ギターの弾き語りでしたね。高校の学園祭とかに出て、わりと人気があって。だから最初は、弟が歌ったほうがウケるのかなと思って、僕はプロデューサー的な立場でやろうかとかもぼんやり考えてました(笑)。

──「ベースを弾いて」と言われたときのことは覚えてます?

友晴  あんまり覚えてないですね。でも、友達からいらないベースをもらって、それを弾いて。キセルとしての曲がもうすでにあったんで、ベースラインを覚えて、ニュアンスをたどるというところから始めました。なので「この人のベースが好き」とかからではなかったです。

結成時に使用していたTASCAMのMTR。
インディーズ時代に制作したカセットテープ。

──実際、2人で一緒にやってみての手応えは?

豪文 最初のライブはTASCAMの4チャンネルMTRに入れた手打ちのリズムと効果音みたいなのでループっぽいオケにして2人でやったんですけど、それを意外に面白がってもらえて。そこから京都大学の吉田寮でのライブとか、いろんなところに呼ばれるようになったんです。そこから2年くらい京都で活動していた感じです。

──これもデビューした頃にさんざん聞かれた質問だと思いますが、キセルと名乗ったのはなぜ?

豪文 名前を決めるときは人にもちょっと相談したりしました。あんまり評判はよくなかったけど(笑)。でも、弟が「いいんちゃう?」みたいな感じだったですね。

友晴  最初はひらがなで「きせる」やったね。当時は僕がライブのアンケート用紙を作ってたんですけど、最初はひらがなで書いてました。

豪文 カタカナにしてよかった(笑)。

──友晴くんは大学受験に落ちたタイミングで、結局浪人もせず、そのままキセルに就職したという人生になったわけですが。

友晴  そもそも僕の友達に言わすと、高校時代の受験勉強からやる気がなかったそうで。大学も1校しか受けなかったし、落ちたときは落ち込みもしたけどそんなに深くは考えてなかったですね。むしろ周りのほうが「音楽で食べてく? 大丈夫?」って心配してる感じでした。

豪文 僕が言い出しっぺだし、責任を持つという一応の自覚はありました。実家で両親に会うと今も「(友晴の)面倒見ろよ」みたいなことは言われます。もう僕らはおっさん2人ですけど(笑)。

メジャーデビュー

キセル

──キセルとしての最初の音源は?

豪文 カセット(2000年6月発表の「キセル」)ですね。下北沢にあったハイラインレコーズ(2008年に閉店)に置かせてもらったらそれがすごく売れて、東京でもちょいちょいライブが増えてきて、知り合い関係じゃないようなところからも呼ばれるようになったという記憶はありますね。

──その勢いでインディーズでミニアルバム「ニジムタイヨウ」(2000年9月)をリリース。そして翌年にはメジャーレーベルであるビクター(SPEEDSTAR RECORDS)からアルバム「夢」(2001年6月)でデビューという流れです。そのタイミングで「Quick Japan」の表紙も飾ってましたよね。僕がキセルを知ったのも、あの表紙からでした。

「QuickJapan Vol.37」表紙(画像提供:QuickJapan編集部 / 太田出版)

豪文 「Quick Japan」の編集者だった望月ミツルさんが、当時吉田寮でやったライブを取材に来てたりしたんですよ。で、「ニジムタイヨウ」も聴いてくれてて。その流れもあって表紙になったと思うんですけど、けっこうびっくりしました。

──メジャーから声をかけられたということについては?

豪文 ビクターのA&R担当だったフカミマドカさんには僕が前のバンドをやっていた18、19歳くらいからずっとお世話になっていて、そのバンドで培ったものは今の自分にとって大きいんですが、「ニジムタイヨウ」もフカミさんが携わっていたレーベルからのリリースだったので、なんとなくビクターからデビューすることを目標にしていた感じはありました。キセルとして2人でやり始めてから、「この感じならアルバム1枚くらいは作れるやろうな」という手応えはあったので、メジャーデビューが決まったことにびっくりしたというよりは「目標を1つクリアしたな」という感じやったですね。

友晴 キセルをやる前からの詳しい流れを僕はわかってなかったですけど、いきなりデビューすることになってレコーディングとかいろいろ体験していく中でも、「この先どうなるんやろ?」みたいな不安は特に感じてなかったですね。

豪文 僕らがメジャーデビューを決める前に、つじあやのちゃんがデビューしてたり、ギターのサポートでくるりが僕を呼んでくれた時期があったり、京都がちょっとしたブームになっていた時期でもあったんです。その流れの中で、キセルのカセットがくるりのディレクターさん経由でスピードスター内に渡って、別のちょっと奇特なディレクターさんが聴いて気に入ってくれて、そのおかげで決まったような話でもあったんですよね。

──キセルのビクター時代って、今振り返ると5年でオリジナルアルバム4枚に加え、シングルもたくさん出していて、制作のスケジュールもタイトだし、結果を求められた時期でもありましたよね。

豪文 だんだんそうなったんですけどね。最初はそうでもなかったですけど。

友晴 でも、だいぶゆるいほうやったよね。

──エンジニアのウッチーさん(内田直之)との出会いもビクター時代だし、冨田ラボによるプロデュース(2002年発表のオムニバスアルバム「スペースシャワー列伝~宴~」に収録された楽曲「サイレン」)なんてこともありましたよね。

メジャー1stアルバム「夢」(2001年6月)

豪文 いろいろありましたけど、結局は自分らのペースでやらせてもらったとは思ってます。5年で4枚のペースって今のペースを考えるとすごく早いですけど。当時の作品を振り返ると、自分たちのツメが甘いところとか未完成な部分も感じますけど、ああやってお金をかけてメジャーで作らせてもらえたというのは本当に恵まれてたし、ありがたかったです。今考えてもビクター時代は大事やったと思いますね。

友晴 ウッチーさんにしても、当時のディレクターさんにしても、そこでしか会えへんかった人たちやからね。

豪文 基本的には好きにやらせてもらったのと、その時期にメジャーから作品を出せて、たくさんの人に認知してもらえたというのは、その後の活動にとってもすごく大きかったと思います。


カクバリズム移籍

キセル

──ビクターを離れてからカクバリズムに移籍するまでの期間って、どれくらいでしたっけ?

豪文 2005年からの実質1年半くらいですね。ビクター時代から一緒にライブをやってもらってたエマさん(エマーソン北村)とPAの広津(千晶)さんにも自分たちから連絡して引き続き参加してもらって。たぶん、向こうも心配してくれてたんだと思うんですけど。

──ビクター時代に比べてライブの本数がすごく増えた時期で、エマさんを加えた3人で、地方にもあちこちライブに行ってましたね。

友晴 ビクター時代は、ライブの本数を絞って、プレミア感を出していこうという方針があったので、地方や小さい会場でもライブをやるようになったのはビクターを離れてからです。自分たちで新しくホームページを立ち上げて、ライブのオファーを直接受け付けるようになってから、「こういうオファーが来るんだ」ということにも気付きました。

──2人は、ちょうどインターネットが発達して一般的に定着していった2000年代の前半に、ビクター所属アーティストとして活動していたわけで。そういうリクエストがあったことも知らずにきていたのが、いざ所属を離れて蓋を開けてみたら、想像以上に要望が溜まってた、みたいなところはあったのかも。

カクバリズム移籍後初のアルバム「magic hour」(2008年1月)発表時のキセル。

豪文 そうかもしれないですね。その時期に、自分らが「面白そうやな」と感じたらそこに行ってライブするみたいな感じに慣れていったのはデカかったです。カクバリズムのノリもわりと同じ感じやから。

──角張渉さん(カクバリズム主宰者)との出会いは覚えてますか?

豪文 角張くんと初めて会ったのは、表参道のFABというライブハウスに湯川潮音ちゃんとSAKEROCKのツーマン(2005年9月8日)を観に行ったときでしたね。次のレーベルを探そうという気持ちもあって、その頃よく人の打ち上げに出てたんです(笑)。そこで角張くんが話しかけてくれて。当時僕が勉強してた、契約や原盤権とか印税のことを話してくれたのを覚えてます。

友晴 「アナログでインストを出しませんか?」って話が最初やったよね。僕はそのライブには行ってへんけど、帰ってきた兄さんからそういうことを言われたって話を聞いたのは覚えてる。

豪文 そのときはカクバリズムに入るという話にはならへんかったけど、角張くんは一緒にやるかどうかを考えてたんだと思います。

2007年6月に東京・渋谷クラブクアトロで行われたキセルとグッドラックヘイワによるツーマンライブのフライヤー。

──「うちでやりましょう」みたいな決定的な言葉はあったんですか?

豪文 ライブに来てくれるうちにだんだんそうなった感じやと思います。

──SHIBUYA AXで開催されたカクバリズムの5周年イベント(2007年12月1日)にキセルは出演していましたよね。その頃には翌年(2008年)の1月にアルバム「magic hour」をカクバリズムからリリースすることも発表されていました。

友晴 最初にカクバリズム関連のイベントに出たのはSAKEROCKのライブで、TUCKERさんとのスリーマンでした。確か渋谷のクラブクアトロでしたね(2006年1月12日)。

豪文 カクバリズム経由で「朝霧JAM」に呼んでもらったのも2007年やったと思うし。この時期から所属して、というのがはっきりしないんですけど、僕らより前にイルリメくんやニカさん(二階堂和美)がもうカクバリズムに所属していて。ニカさんとは彼女がポプラって名乗ってた頃に同じイベントに出たことがあって、そのとき買ったカセットをよく聴いたりしていて、線がまた交わるようでうれしかったし、なんだか不思議な感じでしたね。

──制作現場ではビクター時代との違いというか、カクバリズムらしさは感じました?

豪文 レコーディングの作業自体はウッチーさんと引き続き一緒にやっていたのでそんなに変わったところはなかったですけど、雰囲気の違いとして、風通しのよさみたいなものはある気がしましたね。

──今振り返ると、それまでインストバンド中心だったカクバリズムに、イルさん、ニカさん、キセルが加わって歌モノに向かうというか、「アダルト化する?」みたいな感じだった記憶があります。

友晴 ウッチーさんにも、カクバリズムに入ろうかと思ってるって話したら、「すっごいイケイケなレーベルだよ」って言われて(笑)。

豪文 そうやった。「大丈夫?」って言われて(笑)。レーベルがアゲアゲな感じやのに自分らはアゲられへんやろうな、と。でも、僕らはアゲアゲじゃないですけど、今もレーベルに居られてる。そこがカクバリズムの振れ幅というか。角張くんの好きなものの幅なのかなと思いますね。

20周年

──20周年を迎える今年は、カクバリズムに入ってから12年ということでもあります。オリジナルアルバムは「magic hour」(2008年1月)、「凪」(2010年6月)、「明るい幻」(2014年12月)、「The Blue Hour」(2017年12月)の4枚をリリースしてきました。アルバムごとにスパンは空いてるんだけど、裏ベスト「SUKIMA MUSICS」(2011年5月)やライブ会場限定のCDリリースがあったり、2013年、2015年と日比谷野音でワンマンライブをやったり、キセルは要所要所で毎年記憶に残ることをやってるなという感じがあります。

友晴 バリさん(角張)がいつもいろいろアイデアをもちかけてくれてるというのはありますね。

──キセルの不思議さでもあるんですけど、兄弟とはいえ、20年やってきてたら「この2年間くらいはぜんぜん会わずに別のことしてました」とかあっても普通じゃないですか。キセルにはそういう意味でもブランクを感じない。

キセル

友晴 そっすね。1、2週間会ってなくて電話とかせんと、だいぶひさびさって感じがするもんね。

豪文 そう?(笑) でも、ライブやって、新しい曲やアルバム作って、またライブやって、っていうのを途切れずにやらせてもらってるのはありがたいです。遅いペースですけど“この次”を更新していきたいという気持ちもずっとあるから、早いっていえば早かった20年ですね。今回、カクバリズム時代のベストを出すにあたって、やってきたことを改めて振り返ることができたのも新鮮でした。

──友晴くんはキセルの曲を聴き返したりします?

友晴 そうですね。ワンマンライブでやりたい曲を考えるときにけっこう聴き返します。

豪文 めっちゃ聴くよね(笑)。覚えてるやろ、とも思うんすけど。

友晴 いやいや、ちゃんと聴いて、雰囲気とか確認します。過去のリハ音源も聴いて「こういう感じでやってたんか」みたいに思ったり。

──今回のベストを聴いてふと思ったのは、キセルの曲って「あのとき自分はこうだった」みたいなことではなく、普通にキセル全体の魅力に集約されていくってことだったんです。曲とかサウンドが“ある時代”を象徴してないし、具体的な懐かしさにはならない。この感じって50周年でも1周年でも同じような気がするんです。

豪文 そうかもしれないです。時代性があんまりないという部分は、よくも悪くも自分らの曲にはあるなと思います。もちろん同時代の音楽からの影響もあることはあるんですけど。自分らが兄弟やからかもしれないんですけど、音楽の作り方にしてもこの2人が面白いなと思って落ち着くところがカテゴライズしにくいというか。「いいのかな? でもどうなんやろな?」という感じでも2人が面白いと思うんやったら、とりあえずやってみて、そこから考えていく。変わらずそれをずっとやってる感じですね。

兄弟

──兄さんの今の発言を受けての“兄弟”というテーマです。「兄弟だから言わずもがな」という部分もありつつ、「兄弟なのに言ってもわからんのか」という面も当然ありますよね。

キセル

友晴 よく兄さんに言われるんですよ。「言わんでもわかるでしょ」って。でも言ってもらわんとわかんないし(笑)。

豪文 そんなこと言わんやろ。

友晴 え? ほんま?

──まあまあ(笑)。

豪文 ああ、でもそれは兄弟やからとかは関係ないっていうか。友晴さんの飲み込み方がおかしい、ってときがあって(笑)。

友晴 まあでも、そういうときのやりとりが兄弟ぽいかなとは思います。当たりがキツかったり、脱線して変なほうにいってケンカになったりとか(笑)。

──でも、キセルは結成して20年ですけど、友晴くんが生まれてからだから2人は39年兄弟をやってるわけじゃないですか。その兄弟間の感じは、キセルをやる前からあんまり変わらないですか?

幼き頃の辻村兄弟。左より豪文、友晴。

豪文 ちっちゃいときの話までさかのぼると、僕が小6のときまで団地に住んでたんですけど、その4階で同年代の子供たちのグループがあって。弟はその中でも一番ちっちゃかったんですけど、すごく可愛がられてて。いつも遊ぶときは付いてきてましたね。

──2人は4歳年が離れているので、同じ中高には在学しないという年齢差なんですよね。それくらい年が離れていると話題も違ってしまいがちですけど。

豪文 そうなんですよ。けっこう離れてるといえば離れてて。僕が先に音楽を始めて、最初はメタルをやってたし、弟の選択肢に「自分も音楽をやる」というのは入ってなかったと思うんですけど、高校2年くらいから急にギターの練習をしだして。そこから共通の話題ができてきましたね。弟が「宅録でテープを作りたい」って言ったときも自然に「手伝おうか」って感じやったし。逆に、音楽がなかったら、すごく疎遠な兄弟やったかもしれない。

──疎遠というか、普通というか。お互いにそれぞれの道を進む兄弟だったんでしょうね。上京してからも、しばらく一緒に住んでたんですよね?

友晴 2000年頃に上京して、03年か04年頃までですかね。

豪文 実家では一緒の部屋やったんで、上京して自分の部屋ができたという感じでした(笑)。

友晴 広くなった。自分の部屋やし、ゲームも好きにやれるぞ、みたいな(笑)。

──今はお互いに家庭もできて、離れて暮らしてるわけですけど、それでも1、2週間会わないとひさしぶりだって思うというのは、面白いですね。

幼き頃の辻村兄弟。左より友晴、豪文。

友晴 キセルとしても不安になるんですよ。普通は一緒に働いてる人と毎日会うじゃないですか。「おはようございます」ってあいさつして、仕事の話をして、みたいな。

豪文 僕は、「連絡をマメに取らないと」みたいな感じはないですけど、「弟から『曲ができた』みたいな連絡がないかな?」っていう期待感とかはあります(笑)。メジャーで初めてキセルのアルバムを作ったときに思ったのは、この2人しかいないからってことでもあるんですけど、弟が作ってくる曲とかアイデアが面白いほうに転んだときが、たぶん、キセルとして一番いい状態なんです。弟のアイデアがなくて、自分が思ってることだけだと、すごく音楽がこじんまりしてしまう感じがして。僕がやってることを単に手伝ってもらってるという感じよりは、友晴さんの個性がうまくキセルにハマるときがキセルの肝なのかなという気持ちもあって。まあ、こういう話は電話でもよくするんですけどね。友晴さんが今何を考えているか、というのを。

友晴 そこはわかんないものじゃないですか。結局はそのときのお互いのリンク具合というか。でも、言ってることの「感じがわかる」速度は速くありたいので、最近は世間話でもなんでも、いろいろ話そうと心がけています。曲に関しても、さっき兄さんが言っていた「面白いほうに転ぶ」の「面白い」の到達点が見えへん中で、面白いものを作るっていうのが難しくて。でも、こないだの「The Blue Hour」で僕が書いた「一回お休み」は、けっこううまくできたんですよ。あの曲がポンとアルバムに入ったときに「いけた!」みたいな感覚があった。新しく到達できた曲は自分にとって「キセルがどうなっていけばいいか」というのを考える部分に通じてるんです。

──そういうところでもよく感じるんですが、キセルって兄と弟ですけど、主従関係ではなく対等なんですよね。MCでも話が宇宙的に噛み合わないときがありますけど、そこも主従でどちらかが引っ張ってまとめるみたいな調整はしない。

豪文 いや、でもMCをちゃんとやろうっていう話は20年ずっとしてますから(笑)。「噛み合わへんのが面白い」って言われるのは、自分らとしてはぜんぜんピンとこないんで。

──でも、「じゃあ、こういうふうに段取りしてちゃんとしようぜ」みたいなところからは生まれない面白さが、キセルの音楽にもつながってると思いますけど。

豪文 どうしても兄弟やから、音楽もどこかでドメスティックというか、この2人が持ってるものが自然に出ちゃう部分があるんやなって思うんです。昔、渚にての柴山(伸二)さんにキセルへのコメントを書いてもらったときに、The Kinksのレイ・デイヴィスとデイヴ・デイヴィス兄弟のことを引き合いに出してくれて。「兄弟特有の閉鎖性があるのが面白いんじゃないか」みたいなことを書いてもらったんです。

友晴 The ShaggsとかESGみたいな。

豪文 確かに、自分らが「あ、ええよな」って思うときの、共通して感じる部分の閉鎖性のよさ、みたいなものはあるっすね。それがなかったらここまでできなかったんやろうなと思います。

今後

──近い今後だと、9月16日の日比谷野音での3度目のワンマンがあります。そもそもカクバリズムのアーティストの中で3回も野音をやるのはキセルが最初なんですよね。

豪文 ありがたいです。カクバリズムの要素のどこかをキセルが支えられてるのならいいなと思ってるので。

──野音のキセルはこれまでの2回も観てますが、いつも特別なものを感じるんですよ。2回目の野音(2015年8月30日)で途中から雨が降ったじゃないですか。お子さん連れのお客さんが多かったというのもあったんですけど、雨が降ってきたら大人はみんな雨の備えで大変そうだったけど、子供たちはすごくうれしそうにはしゃぎ回ってたんですよ。あの子たちは詳しくは覚えてないかもしれないけど、何かぼんやりした記憶として「あの雨の日に聴いた音楽」というのは残る気がする。そういう光景がキセルにはぴったりだったんです。今年の「FUJI ROCK FESTIVAL」のFIELD OF HEAVEN(2019年7月27日)で、降り出した雨の中で聴いた「ビューティフルデイ」もまさにそんな感じでした。

2015年8月に行われた東京・日比谷野外大音楽堂公演の様子。
2015年8月に行われた東京・日比谷野外大音楽堂公演の様子。

豪文 今回の野音は20周年やし、すごく簡単にいうと「ひとまずここまでほんとありがとうございます」という。別に20周年を目標にしてたわけじゃないんですけど、長くやれたらいいと言ってたうちに20年経ったという感じで。自分らが2人でやってきたことをお客さんもスタッフも面白がってくれたおかげというのをここ最近すごく実感するようになって。なるべくその恩返しができたらということに尽きると思ってます。その中でも、新しいことにチャレンジできたらいいなとは思ってるんですけど。

友晴 チャレンジというか、何が新しいことかはわからないけど、それは見せたいですね。新曲もやれたらいいけど、音の聴こえ方や演奏の具合とか全体の見え方とか、そういうのも含めて「またよかったな」みたいな感じにはしたいですね。

豪文 今年に入って、今までとちょっと違うフェーズというか、なんとなく演奏してるときに今までになかったまとまりがある感じがして。長く同じメンバーでやれてるお陰もあってライブが楽しいんです。20周年やから勝手にそう思い込んでるのかもしれないんですけど、同じ曲をやるにしても、今までとはなんとなくちょっと違う楽しさがあって。それを野音でお客さんにも聴いてもらって、「20年やってるとこんな感じになるんやな」みたいな新鮮さを楽しんでもらえたらいいなと思ってます。

──今回は、北山ゆうこさん(Dr)、加藤雄一郎さん(Sax)、野村卓史さん(Key)を加えたバンド編成で、ここ3年ほどやってきたアンサンブルの到達点を見せる機会でもあるんですよね。

豪文 あと、今回はひさびさにエマさんにも来てもらって、3人でやってた頃の曲をやる時間も作りたいと思ってます。

──「キセルをずっとやっていく」ということについても、折に触れて語ってますよね。

2019年現在のキセル。
2019年現在のキセル。

豪文 そうですね、漠然とではありますけど。「やめる」とかは想像できひんし、ずっとやるのは当たり前だと思ってます。でもライブをずっとできるかどうかはわからない。呼んでくれる人や観に来てくれる人がいいひんと、できないので。

友晴 さっき松永さんが「時代性を感じさせない」って言ってくれましたけど、そういうものがどこまで通じるかというのも考えます。

豪文 僕らが作る音楽が、時代的にキツくなることも、求められなくなることも長くやってたら出てくるかもしれない。上は上でみんなすごいし、下の世代にもすごい人らが出てきてるし。

友晴 僕らの作るメロディとかコード感で、どこまで時代の隙間をうまく縫ってやれるか、とかね。

──でも、カクバリズムの下の世代や若いバンドからキセルへの熱いラブコールもありますよね。

キセル

豪文 そういうのは、ほんまにありがたいですよね。だから、「これからも続けるのでよろしくお願いしたいです」というしかないですね。

──こうやって取材してても、10年後の30周年でも同じように受け答えしてる姿しか想像できないです(笑)。

豪文 そうかも(笑)。でも、すごく当たり前なんですけど、結局は聴いてくれる人がいいひんかったら成り立たへんから。「一緒にやってる」というか、キセルを選んで聴いてくれてる人というのは、一緒にこの20年を作ってくれたようなものなんやろうなと思ってます。

王舟

王舟
好きなキセルの楽曲は?
「ひとつだけ変えた」

浮遊してるアンサンブルの中で考えごとにふける人物の声が、なんだか自分の中で響いてるような錯覚を覚えるし、「ひとつだけ変えた」のフレーズ、楽曲を聴く前は情景が想像できなかったけど、サウンドの中でたどり着いた時、まるで気心の知れた友人に、もう一度出会った気がしました。とても好きです。

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

海で遊んでいても、山を登っていても、新聞を読んでいても、休んでても、何をしていても、キセルの背中で音楽が鳴っていて、それが空気の鼓動と混ざりあって世界が成り立ってるようなイメージ

20周年を迎えるキセルに一言

キセル、20周年おめでとうございます。20年間どんなんだったのか想像できませんが、少し垣間見ることができて嬉しいです。これからも作品を楽しみにしております!

中国・上海出身のシンガーソングライター。2014年にゲストミュージシャンを迎えバンド編成で制作した1stアルバム「Wang」を発売後、2016年に宅録で完成させた2ndアルバム「PICTURE」をリリース。さらにイタリアで2018年にBIOMAN(neco眠る)と共作したインストアルバム「Villa Tereze」、今年5月に宅録とバンド演奏を交えた3rdアルバム「Big fish」を発表した。作品制作やライブ活動の傍ら、他アーティストの楽曲へのゲスト参加やプロデュース、またCMへの楽曲提供など幅広く活動している。

折坂悠太

折坂悠太
好きなキセルの楽曲は?
「くちなしの丘」

音楽活動を始める前に、一人でコピーしたことがあります。スローな印象の曲なのに、コード進行や曲の展開などプログレ楽曲のように巧みで、演奏してみるとアッパーな印象になってしまい、苦労した記憶があります。お二人の、声と演奏の包容力を感じた出来事でした。

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

人にはその人にあった生きる周波数帯があって、それぞれ異なり、音楽にあらわれると思うんですが、お二人のライブを初めて見たとき、その低さに驚きました。笹の小舟がそよそよ波に揺られている。その下には底の知れない、地球のプレートと共に呼吸する、広大な黒い海がある。そんなイメージを持っています。

20周年を迎えるキセルに一言

豪文さん、友晴さん、20周年おめでとうございます。いつか共演できるよう、精進します。

1989年鳥取県出身のシンガーソングライター。2013年にギターの弾き語りでライブ活動を開始。2014年に自主製作のミニアルバム「あけぼの」を発表し、2015年にレーベル・のろしレコードの立ち上げに参加した。2016年には1stアルバム「たむけ」、2018年にミニアルバム「ざわめき」を発表。同年に全国23カ所を回る弾き語り投げ銭ツアーを敢行し「FUJI ROCK FESTIVAL」など夏フェスにも多数出演した。また同年に2ndアルバム「平成」をリリースしCDショップ大賞を受賞する。2019年3月にシングル「抱擁」を発表後、7月クールのフジテレビ系ドラマ「監察医 朝顔」主題歌に書き下ろし楽曲「朝顔」を提供。8月に同曲を配信限定でリリースした。10月から11月にかけて弾き語りツーマンツアー「折坂悠太のツーと言えばカー2019」を開催する。

蔡忠浩(bonobos)

蔡忠浩(bonobos)
好きなキセルの楽曲は?
「君の犬」

もう10年以上も前のこと、ハナレグミ永積くんの呼びかけで忘年会&セッション大会が開催されたんだけど、そこで初めて聴いてめちゃめちゃ感動したの覚えてる。
おそらくこの曲ができたばっかりの頃だと思う。
なんて悲しくて素敵な歌なんだろうと、辻村くんの歌ってるすぐ横で聴きながら、こんな曲を書ける辻村くんの才能をとても羨ましく思った。

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

春から初夏にかけての、霞みがかった川の土手。

20周年を迎えるキセルに一言

辻村兄弟、キセル20周年おめでとう。
ソングライターとしてもプレイヤーとしてもずっと変わらず尊敬しております。
これからも良い歌を書き続けてくださいね。

2001年に結成。2003年にメジャーデビューを果たし、レゲエ、ダブ、エレクトロニカなどさまざまな音楽性を取り入れた音楽性で注目を集める。2015年に蔡忠浩(Vo, G)、小池龍平(G)、田中佑司(Key)、森本夏子(B)、梅本浩亘(Dr)による5人体制がスタートした。最新作は2019年3月に配信リリースした楽曲「アルベジオ」。また蔡はソロ名義で楽曲制作やライブ活動のほか舞台の音楽監督や映像作品への楽曲提供も行っており、2019年7月にNHK総合で放送がスタートしたドラマ「だから私は推しました」の劇伴を手がける。

斉藤和義

斉藤和義
20周年を迎えるキセルに一言

キセル20周年おめでとう!
あれからそんなに経つのか…
キセルデビュー時のディレクターから、京都のユル~い兄弟ユニットがデビューするんですよって事で聞かせてもらったのが出会いでした。カセット宅録の音は国籍不明で、ユルい中にもそこはかとなく漂うパンク感がめちゃめちゃカッコよくてすぐにやられました。タケちゃんにはツアーやレコーディングに参加してもらったり、2人にリミックスもしてもらったり、お世話になってまーす。最近あんまり会ってないね…。また吉祥寺で泊まり飲みしましょ~!
おめでとう。これからもそのままユルユルやってください。

1966年栃木県出身。学生時代から曲作りを開始し、1993年に1stアルバム「僕の見たビートルズはTVの中」でメジャーデビューを果たす。1994年に4thシングル「歩いて帰ろう」が子供番組「ポンキッキーズ」で使用されたことから注目を集め、以降「歌うたいのバラッド」「ウエディング・ソング」「ずっと好きだった」など数々の代表曲を生み出し多くのファンを獲得する。2011年には中村達也とのロックバンド・MANNISH BOYSを始動する。2019年9月18日には、自身が劇中音楽を担当し主題歌「小さな夜」を書き下ろした伊坂幸太郎原作の映画「アイネクライネナハトムジーク」のオリジナルサウンドトラックをリリースする。

坂本慎太郎

坂本慎太郎
好きなキセルの楽曲は?
「富士と夕闇」

リズムがつんのめる感じがハッとさせられて好きです。

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

安曇野

20周年を迎えるキセルに一言

20周年おめでとうございます。
10年以上前に京大西部講堂で対バンしましたよね。
「ひとりぼっちの人工衛星」を素敵にカバーしてくれて嬉しかったです。
これからもお互い精進いたしましょう。

1989年に結成したゆらゆら帝国でボーカルとギターを担当し、10枚のスタジオアルバムや2枚組ベストアルバムなどを発売後2010年に解散した。翌2011年に自主レーベル・zelone recordsを設立しソロ名義での1stアルバム「幻とのつきあい方」をリリース。2013年にシングル「まともがわからない」、2014年に2ndアルバム「ナマで踊ろう」、2016年に3rdアルバム「できれば愛を」を発表した。2017年にドイツ・ケルンで開催されたイベント「Week-End Festival #7」で初のソロライブを実施し注目を集める。2019年8月には7inchアナログと配信でシングル「小舟(Boat)」をリリース。10月にアメリカ、11月に国内でツアーを行う。

佐藤良成(ハンバート ハンバート)

佐藤良成(ハンバート ハンバート)
好きなキセルの楽曲は?
「庭の木」

初めて聴いたとき、「僕を見下ろす庭の木」の情景が、ふわーっと浮かんできて涙が出そうになりました。「僕があの娘に触れた夜 見た事ない実をつけた」というところがすごく好きです。

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

鍾乳洞

20周年を迎えるキセルに一言

友だち付き合いをしているわけではないけど、2人のことは同志だと思っています。ときどきライブ会場やイベントで、元気に活動を続けている姿を見ると励みになります。お互い、25年、30年と続けて、歳を重ねていけたらと思います。おめでとう!

1998年に結成された佐藤良成(G, Violin, Vo)と佐野遊穂(Vo, Harmonica)による男女デュオ。フォーク、カントリー、アイリッシュ、日本の童謡などの音楽をルーツとした楽曲と繊細なツインボーカルで支持を集める。2001年にデビューアルバム「for hundreds of children」を発売後、作品制作の傍らライブ活動やテレビや映画、CMなどへの楽曲提供を行う。2016年にデビュー15周年記念作品として弾き語りアルバム「FOLK」を、2019年6月にはライブ音源のバラードベスト「WORK」をリリースした。12月には初の東名阪ホールツアー「ハンバート家の平日 2019 Final」を行う。

曽我部恵一

曽我部恵一
好きなキセルの楽曲は?
「ハナレバナレ」
キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

だれもいない冬の部屋

20周年を迎えるキセルに一言

これからも、ずっと。
これまでも、そっと。
このままで、もっと。

1971年生まれ香川県出身。1990年代からサニーデイ・サービスの中心人物として活躍し、2001年にソロアーティストとしての活動も開始する。2004年には自主レーベル・ROSE RECORDSを設立。以降、サニーデイ・サービス / ソロとして活動しながら、プロデュース、楽曲提供、映画音楽、CM音楽、執筆、俳優など、形態にとらわれない表現を続ける。2019年9月4日には自身が映像編集を行った、サニーデイ・サービスによる2015年の東京・渋谷公会堂公演の様子を収めたライブDVD「Birth of a Kiss」をリリースした。

髙城晶平(cero)

髙城晶平(cero)
好きなキセルの楽曲は?
「柔らかな丘」

大学時代に聴いて、今自分が高校生だったら絶対これを合唱コンクールとかで歌いたかった!と思った。チャンスがあれば自分の子どもたちにも合唱してもらいたい。100%泣く自信ある。

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

昔兄さんが京都の鞍馬山で天狗?幽霊?の声を聞いた、という話をしてくれたことがあり、それ以来キセル聴いてると行ったことのない鞍馬山の風景がボンヤリ浮かぶようになってしまった。

20周年を迎えるキセルに一言

20周年おめでとうございます!!
キセルはずっと変わらず、けど毎回驚かされる、本当にすごい音楽家だと思っています。尊敬できる人が身近にいることがとても心強いです。これからも共に頑張っていきましょう!

p.s.
友晴さんが自分用に作ってるというオリジナルのインスト集、いつか聴けるのを楽しみにしています!!

2004年に髙城晶平(Vo, G, Flute)、荒内佑(Key, sampler, cho)、柳智之(Dr)により結成され、2006年に橋本翼(G, Cho)が加入。2011年に1stアルバム「WORLD RECORD」を発表後、柳が脱退し3人編成に。2012年に2ndアルバム「My Lost City」、2015年に3rdアルバム「Obscure Ride」、2018年に4thアルバム「POLY LIFE MULTI SOUL」を発売した。2019年8月には2016年から毎年実施している自主企画イベント「Traffic」の第4回を開催。9月23日に大阪・ユニバースで行われるライブイベント「CHOICE 24」に、10月12日に静岡・朝霧アリーナで実施される野外フェス「朝霧JAM'19」への出演が決定している。また高城は2019年1月に自身のソロプロジェクト・Shohei Takagi Parallela Botanicaを始動し、同年「FUJI ROCK FESTIVAL」にも出演。音楽活動の傍ら東京都阿佐ヶ谷でバー「roji」を営んでいる。

つじあやの

つじあやの
好きなキセルの楽曲は?
「くちなしの丘」

迷いますね。。好きな曲はたくさんあるのですが、がんばって「くちなしの丘」を選びます! 懐かしいような悲しいような甘いメロディーが涙を誘います。気がつくと一緒に“くちなしの丘の上で”と歌っている。

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

夕暮れの、とても広い野原

20周年を迎えるキセルに一言

ライブを見るたび変わらないキセルにほっとして、でも変わっていくキセルにわくわくして、なんだか嬉しい気持ちになります。これからもいつまでも、キセルの音楽を聴かせてください。20周年おめでとうございます! 久しぶりに一緒にライブしたいなあ。

1978年京都府出身。学生時代からウクレレに慣れ親しみ、インディーズでの活動を経て1999年9月にミニアルバム「君への気持ち」でメジャーデビュー。2002年にリリースされた6thシングル「風になる」が同年に公開されたスタジオジブリの映画「猫の恩返し」の主題歌に決定し、お茶の間にもその名前が浸透した。他アーティストとのコラボレーションにも積極的で、これまでに10-FEET、BEAT CRUSADERS、山田将司(THE BACK HORN)、斉藤和義らと共演。自身の作品の制作だけでなくCMや映画などへの楽曲提供も行う。2019年9月にメジャーデビュー20周年を迎える。

中納良恵(EGO-WRAPPIN')

EGO-WRAPPIN'
好きなキセルの楽曲は?
「ハナレバナレ 」「くちなしの丘」
キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

友達と行った夏の海の帰りの車の中

20周年を迎えるキセルに一言

やめてやめて 堪忍してーな、辻村さん
近ごろは涙もろくて仕方がない
2人に会うといつもホッとする
兄弟2人の郷愁に自分のいろいろが重なるよ
夕焼け 帰り道 お祭り けんか風のにおい 抱っこ おんぶ
いじわるしたこと、されたこと
優しくしたこと、されたこと
生きてることが素晴らしいと思える
楽しくなれるからみんなで一緒に聴きたいな
でも、涙がでるときは1人でゆっくり聴きたいな
20年キセルありがとう
20周年キセルおめでとう
これからも、たくさんの風景を見させてください

1996年に中納良恵(Vo)と森雅樹(G)によって結成。1999年の2ndミニアルバム「SWING FOR JOY」、2000年の3rdミニアルバム「色彩のブルース」、2001年の2ndアルバム「満ち汐のロマンス」などで独自の音楽性で活動初期から人気を集め、2016年に結成20周年を迎えた。2019年9月には夏の恒例となるワンマンライブ「Dance, Dance, Dance」を23日に大阪・大阪城音楽堂で、29日に東京・日比谷野外音楽堂で開催。また現在5月に発表したアルバム「Dream Baby Dream」を携えた全国ツアーを実施している。なお中納は2007年に「ソレイユ」、2015年に「窓景」という2枚のソロアルバムを発表している。

福富優樹(Homecomings)

福富優樹(Homecomings)
好きなキセルの楽曲は?
「君の犬」「今日のすべて」「夢の手紙」

ベストに入ってる曲の中だと「君の犬」、それ以外の曲だと「今日のすべて」か「夢の手紙」です。 特に「君の犬」の歌詞は自分が書いたことにしたいなぁ、と思うほど好きです。

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

キセルの楽曲はそれぞれに風景みたいなものが設定されているような気がして、移動中の車の中や電車のなかでじっとその世界の中に入り込むのが好きです。普通の日常から少し浮き上がるような、そんな景色。

20周年を迎えるキセルに一言

これからも何年かに一度のプレゼントのように、新しい作品をずっと楽しみにしています。

畳野彩加(Vo, G)、福富優樹(G)、福田穂那美(B, Cho)、石田成美(Dr, Cho)からなる京都を拠点にする4人組バンド。2012年京都精華大学在学中に結成後、2014年に1stアルバム「Somehow, Somewhere」、2016年に2ndアルバム「SALE OF BROKEN DREAMS」、2018年に3rdアルバム「WHALE LIVING」をリリースした。2019年4月に発表した3rdシングル「Cakes」の表題曲が同年公開の映画「愛がなんだ」の主題歌に使用される。楽曲制作の傍らライブイベントへの出演やラジオのパーソナリティとしての活動も行っている。

藤原さくら

藤原さくら
好きなキセルの楽曲は?
「君の犬」

初めて聞いた時、衝撃を受けました
とつとつと感情を乗せすぎずに歌っている中に
「君の僕が死んだ夜」
「僕の君を殺した朝」
というドキッとする詩があるのですが
次に続く言葉が
「本当の月が照らしたから」
「のどかな春の花の下」なのです。
、、とにかく聴いてもらいたく、大好きなのですが、キセルって本当に宇宙です、、

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

梅田と名古屋のクアトロで2マンをさせていただいた時に、お客さんとお話をするように自然に音楽を奏でているのを見ました。本当に素敵で素敵で、その光景がずっと忘れられません。

20周年を迎えるキセルに一言

20周年、そしてベストアルバムおめでとうございます!これからも命の続く限り素敵な音楽を作り続けて欲しいです。大好きです!

福岡県出身のシンガーソングライター。幼少期からさまざまなジャンルの音楽に親しみ、父親の影響で10歳からギターを弾き始める。2015年にミニアルバム「a la carte」でメジャーデビュー。2016年にはフジテレビ系月9ドラマ「ラヴソング」にヒロイン役として出演すると共に主題歌を担当し注目を集めた。2018年にmabanua(Ovall)プロデュースによる音源集「green」「red」を発表。2019年9月から12月にかけて全国ツアー「藤原さくら Twilight Tour 2019」を行う。また同年3月から4月にかけて劇団☆新感線39興行・春公演「いのうえ歌舞伎『偽義経冥界歌』」に出演。同舞台は2020年2月、4月にも上演される。

細野晴臣

細野晴臣
20周年を迎えるキセルに一言

キセルとは・・・新刊書が溢れる時、古書店で見つけた文庫本の詩集。でもそれは最近出版されたものだった、というイメージ。大声で喚き叫ぶ時代の中、控えめな声に聴き耳を立てる。キセルはそんな声だ。その歌は自分が置き忘れた幻想を運んでくる。それは明るい幻だ。

こんな歌を聴いていた。
ミナスの夢 くちなしの丘 ひとつだけ変えた 覚めないの

1947年東京都出身。エイプリル・フール、はっぴいえんどのメンバーを経て1973年にソロ活動開始。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とイエロー・マジック・オーケストラを結成し、1983年のYMO“散開”後も多岐にわたり活動した。2019年に音楽活動50周年を迎え、同年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表した。8月28日には星野源選曲によるベスト盤「HOSONO HARUOMI compiled by HOSHINO GEN」、9月25日には小山田圭吾選曲によるベスト盤「HOSONO HARUOMI compiled by OYAMADA KEIGO」と映画「万引き家族」のサウンドトラック「万引き家族 オリジナル・サウンドトラック」のアナログ盤をリリース。さらに10月11~14日には東京・恵比寿ザ・ガーデンホールで50周年記念イベント「祝!細野晴臣 音楽活動50周年×恵比寿ガーデンプレイス25周年 『細野さん みんな集まりました!』」が開催される。

馬渕啓(OGRE YOU ASSHOLE)

OGRE YOU ASSHOLE
好きなキセルの楽曲は?
「春の背中」

愉しげなのに奥の方が怪しい、リアレンジされた「春の背中」の、そのバランスが心地よくて何度も聴きたくなります。

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

無人になった公園

20周年を迎えるキセルに一言

数年前のある日、前触れなく、豪文さんがうちの玄関に突然あらわれた時はびっくりしました。
これからのキセルの作品も楽しみにしています。
結成20周年おめでとうございます。

出戸学(Vo, G)、馬渕啓(G)、勝浦隆嗣(Dr)、清水隆史(B)からなるロックバンド。2005年に発表した1stアルバム「OGRE YOU ASSHOLE」以降USインディの要素を取り入れたサウンドを展開し、その後石原洋をプロデューサーに迎えサイケデリックロックやクラウトロックを基調にした音楽性を確立した。2011年に「homely」、翌2012年に「100年後」、2014年に「ペーパークラフト」といったオリジナルアルバムを発表。2016年にはセルフプロデュースアルバム「ハンドルを放す前に」をリリースした。2019年9月4日にニューアルバム「新しい人」を発売し、9月29日から11月4日にかけてリリースツアーを行う。

mei ehara

mei ehara
好きなキセルの楽曲は?
「空の上」

時間と自分自身が糸となって絡まっている日々の中、急にふっと解けて2本になって、1本1本に浮遊感を感じる瞬間があって、それが後に『思い出』と呼ばれるのかもしれない。この曲を聴くとそんなことを思います。とても優しい。

キセルの楽曲を聴いて思い浮かべる風景は?

色々場所やシーンを思い浮かべますが、特に多く浮かぶのは『部屋』。
夢の中に出てくるような、本当の自分の部屋ではないけれど自分の部屋と設定されている場所。
安心できる場所だけれど、どことなく不思議な空気が漂っている感じ。
そういう夢のような幻のような、化かされているような風景を思い浮かべたりしています。

20周年を迎えるキセルに一言

豪文さん友晴さん、20周年おめでとうございます。ご兄弟で20周年、お二人がデビューしたのは私が8つの時。
言葉が見つかりません。私が過ごしてきた殆ど時間の中に、こんなにも素晴らしい音楽が溢れているなんて。
自分の未熟さを実感すると共に、お二人に励まされ、開放的な気持ちです。キセルの音楽がそばにあることを嬉しく思います。
もう10年、また10年と過ぎて、いつかお爺ちゃんになったお二人の姿が楽しみです。

1991年愛知県出身のシンガーソングライター。学生時代に宅録を開始する。2017年にキセルの辻村豪文がプロデュースを手がけた1stアルバム「Sway」を発表し、同年に自主企画ライブイベント「カンバセイション」「間(あいだ)」をスタート。2018年に「FUJI ROCK FESTIVAL」に出演するなどライブ活動を積極的に行っている。また音楽活動の傍ら文藝誌「園」の主宰を務めており、王舟らと立ち上げたインタビュープロジェクト「DONCAMATIQ」やデザイン制作などにも携わる。2019年7月には1stアルバム「Sway」がアナログ化された。9月14日に東郷清丸のライブツアー「Q曲リリースツアー『超ドQ』」の愛知・Libe&Lounge Vio公演に出演する。



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