So Fishmans!(my fishmans life)


山崎 ゆかり

CATALYST空気公団

1975年、青森県に生まれる。音楽グループ「空気公団」を97年に結成。作詞曲、歌を担当。最新アルバム『僕の心に街ができて』をはじめ『くうきこうだん』『呼び声』『おくりもの』などのアルバムを発表。音楽活動を中心にしながら、様々なアーティストとコラボレートする展覧会の開催など、多面的な活動を進めている。

空気公団:http://www.kukikodan.com/

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今回のカタリストは、今年結成21年目を迎えるバンド「空気公団」のボーカリスト・山崎ゆかりさんです。2018年5月23日に最新アルバム「僕の心に街ができて」をリリースされ、現在は全国ライブツアー中の山崎さんに、AND STORYの旅するトークでも大事にしている「街」についての想いや、これまでの出会いと変化の物語についてお伺いしてきました。


 

―今回はインタビューをお受けいただきありがとうございます。私は以前から空気公団さんが大好きなのですが、「街」というキーワードは曲にも、ジャケットにも出てきて、そして21年目となる今年、「僕の心に街ができて」をリリースされたということで、山崎さんの表現されている「街」って何なのかを知りたくて今回取材をお願いさせていただきました。

 

ありがとうございます。上手く答えられるかわからないですが、よろしくお願いいたします。

 

―まず節目としてこれまでの20年、振り返ってみるとどんな変化があったんでしょうか?

 

15年目くらいの時に、だんだんこれまで周りに居た人がいなくなることがあって。亡くなるとか。反対に生まれるとかもありましたし。そういうことを経験してきたなーっていうのを感じたんですね。なにかこう一定の位置にいて外を眺めていると、15年経つと色々と変わるもんだなと、感じたのが15年目でしたね。

 

―20年ではなく、15年の時に節目を感じたのですか?

 

私、時間が好きなんですよ。

時間をどうにか閉じ込めたいって。15歳の時も思っていました。当たり前なんだけど、もう今日ってないんだって思ったらびっくりしちゃって。そこで音楽始めたようなもんなんですけれど。当時は毎朝を録音していました。そうすると、毎朝違うんですよね。同じ時間に通る車や人の音。けれど、いつもと違う音が必ずあって、当たり前なんですけど、毎日違う朝なんです。

 

 

―朝を録音するって場所はどこでされていたんですか?

 

家の前の自分の部屋の窓から、ラジカセを外に向けて録音するんです。学校に行く前の、大体同じ時間に録るんです。雪が降ってきたり、雨が降ってきたり、小鳥が鳴いていたり。あの過ぎた日に雨降ってたんだ、とか。毎日聴き返してみると、そういう変化って録音したり記録したりしないと気付かないんですよ。日々は変わらないようで、実は日々変わっている。なんとなくそんなことが15年くらい経つと、自然に気付き出すというか。同じことをやっているつもりでも、なんか変わったなって。それは自分たちが変わったというよりも、自分たちももちろん変わっているんだけれど、周りが変わってるっていうことに気付く。それが15年かもしれません。

 

―周りっていうのは、山崎さんからの半径ですか?それとももっと大きな社会?

 

私の周りです。周りが変わっていることを感じて、時って本当に流れているんだなぁって感じた気持ちでアルバムをその時に出しました。それから、5年経ってなんだか自分の中に、1つの守るべきものができたっていう風に感じたんです。それが「街」なんじゃないかって思って、その「街」っていうのがもしかしたら大切な人なのかもしれないし。誰かの心の中に大切な人がいるのか、言い換えられるとそういう感じで5年たっていったってかんじですかね。

 

―20年という刻みよりも、15年経ったときの気付きの方が大きかったですか?

 

そうですね。10年経ったときには、自分たちが街を作っているんだという意識はだんだんできていたんです。その街の中に私たちは「バンド」っていう基地を建てていた感覚でした。それまでは光が当たっているほうに砂山をずっと寄せて、ぼろぼろに変形しちゃうまで砂山を移動させてた時もあったんですけど、もう光が当たるところに移動させるのではなくて、ここに建設しようって、10年経った時に思いました。

だからもう「あそこに光が当たっているよ」じゃなくて私たちが「あそこに砂山があるからおいでよ」という変化。自分たちの周りをもっと豊かにすることで、山ができて、川ができて、街になっていくんだな、って。街に参加していたって感じが「街づくり」を始める感覚に変わった瞬間がありました。

そしてその感覚は「絵」じゃなくて「時間」なんだって。その時が流れていると知ったのは15年目。で、20年で大切なものができたって感じですね。

 

 

―街作りと表現されているのは、空気公団さんの曲の中に閉じ込めてられている時間の長さが異なる曲たちが、街に住む様々な人たちを描いている。そういうことでしょうか?

 

空気公団を聴いてくださるお客さんってライブに1人で来る方が多いんですけど、空気公団っていう街に入り込んで、1人1人が主人公になるという感覚です。

歌詞の中では確かに、1日を描いていたり、それがもっと短く昼だったり、朝だったりするんですけど、全体を見ると、「空気公団」っていう街に遊びに来ちゃったって感じているんじゃないかな。そう感じてもらえたらいいなっておもいます

 

―ということは、聴いている人が入り込めるような曲を作ることが「街づくり」をする、ということになるんですね。

 

そうですね。

バンドを作るときに徹底していたのは、「私が空気公団です」って表に出ることをあえてしないこと。昔は「バンドブーム」っていうのがあって、演奏を見て、「あの人かっこいい」っていうのから「あの人の音楽聞いてみよう」って順番だったと思うんですけど、その前後を逆にしてみようと思ったんです。「この音楽いいけど、ライブしてないよね」っていう感じにどんどん深まって、「空気公団」っていう街の中に入り込んで新しい建物をどんどん建設する、空気公団ってこんな一面もあるんだ、こんな朝も昼もあるんだ。

そんな感じに、なんかなってきたなって思ってきたところです。

写真もあえて引きで撮ることで、曲の中の間奏みたいに間ができるんですよね。その小さい人物とでっかい自分との間に差があって、行間みたいなものが急に見える、そんな感じにしたいなって思ったんです。

 

―空気公団さんのライブも、ボーカルが先頭に立っているイメージがあまりないんですが、ライブもまた、そのような「間」的なものを大切にされているんでしょうか?

 

音楽を聴いてくれる人にとって、どんな存在でいるのかがポイントだと思っているので、ライブでMCづくめはしないようにしています。実は結構ライブで寝てる人もいるんですけど、どんどん寝てほしいなって思います(笑)

街を作り始めてから20年も経つと、「空気公団」の住人が埋まってきて安心するというか、それはとても有難いなって思います。

 

―朝を録音されていたように「時間を録る」という行為は実際に「空気公団」の中で取り入れたりはしているのでしょうか?

 

15年が経って周りが変化してきているっていうのを知った時に、「公開録音ライブ」というライブを行いました。お客さんの前で、みんなヘッドフォンつけて楽器の音を調整するんですよ。ただ、「静かにしていなくちゃいけないのかな」っていうお客さんの気持ちを和らげるためにも、演劇の人たちをいれて一曲ずつ演技をしてもらいました。全部新曲でしたし、アルバムを同時録音しながらお客さんと同じ時間を共有するというのは、本当に素敵な「時間を録る」瞬間でした。

 

 

―空気公団さんの曲はどれも時間が真空パックされているというか、いつまでたっても色あせていないと感じるのですが、作り手として時間を閉じ込める曲作りにはどんなところを意識されているのですか?

 

今だって思う瞬間を取り残さないことですかね。今このテイクがいいっていうのを瞬時に判断することが大切なんです。テイクを重ねていくと、ものすごくぴったりあった演奏が撮れることもあるんですけど、ぴったりのそれじゃなくて、雰囲気がいいものを優先するっていうのを大切にしています。

下手とか、上手いとかよりもそこにどれだけの景色が見えるのかが大事だと思います。音楽は全く顔がないので、ヒントはCDジャケットだったり、曲のタイトルや歌詞ヒントだけなんです。その中で考えてみるってすごく難しいんですけど、偶然良いバランスで合わさった時に立体的な音ができて、そこを瞬時に録る感じです。

 

 

―「録音した時間」は実際に聴かれることはあるんですか?

 

聴きます。わたし自分の作った曲も自分で聴くんですよ。いいねえ、いいじゃん(笑)って。

あとは知らない街に音楽を連れていくっていうのが好きなんです。

 

―アーティストが自分の曲を聴くのは珍しいですよね。

 

多分そうだと思いますよ。恥ずかしいから聴かないって方もいらっしゃると思うんですけれど、こんなこと弾けてたの?とかこんな風に考えてたんだ!とか思い出しながら聴くのはとても好きです。でもライブはさすがに恥ずかしいかな。映像は目に見えてるそのものなので。

朝を録音していた時には「同じ時間ってもうないんだな」ってすごく悲しく思っていた半面で、この感情をどう収めようかっていうことをずっと考えてきました。それが私の場合、文章や絵にしようとか、写真に撮ろうって思わずに音にしようと思ったのが、私の音楽に対する気持ちの表れなのかもしれません。

でもいくら収めたい気持ちがありすぎても、詰め込みすぎは良くないんですよね。街も一緒だと思ってて。遊びどころ盛りだくさん。という感じよりは、ここからどうやって遊ぼうかって感じの方が良いですよね。完璧なんですけれど、完璧すぎて入り込む余地がないものよりは、例えば「この詩のテーマはなんでしょう、せーの」で全員違う答えがでてきてもいいっていう感じくらい、遊びがあってもいいのかなって思います。

 

―遊具がいっぱいある公園よりも土管だけの公園の方が良いってことですね。

 

あとは、遊具から遊具が遠いとかね(笑)

そこまで行くのに山あり谷ありのほうが、行きたいと思ったら行くし、遊びたいって思ったら遊ぶし、見たいって思ったら見たい、そういう方が自分に素直で素敵な感じがします。

 

 

―作られている曲から、過去どういうものを消化されてきて、どういうジャンルが好きかというのが分かることも多いのですが、空気公団さんからはあまりそういう流れを感じないのですが、どういう影響を受けてこられたのですか?

 

 

私もバンドを始めたとき全くわからなかったんです。当時は自分たちで何かアクションをしないといけなかったので、カセットテープをいろんなところに置かせてもらったんです。そのうち「CDつくりませんか」という話をいただいてCDを作ることになりました。その時のレコ評が私たちの曲を初めて外からの視点だったんですが、なんてコメントだったかわかりますか?

 

―なんでしょうか…

 

「70年代を感じさせる」って(笑)

「えっ、70年代?今じゃないの?」って思ったんですよね(笑)。「もう70年代にこの音楽はあったの?」って(笑)そのくらい何にも気づかずにやっていました。

 

 

もともとは映画を撮りたいなって思ったりもしたんですけれど、私は小さいころから音楽を習わせてもらってたこともあって、親に対して申し訳ない気持ちから音楽の方に進みました。でも学校の成績もだんだん落ちてきちゃって。学校の中の課題ってやればやるほど学校の評価って高くなるんですけど、それだけ自分の時間が無くなってるんですよね。それだったら外に行って見聞を広めたほうが良いと私は考えました。実はそのうちの一つが荒井良二さんとの出会いなんです。荒井さんの絵本を見つけて眺めていたら、「その人、恵比寿にいるよ」って偶然聞いたので思い切って会いに行くことにしました。その時丁度曲を書き溜めていて、ジャケットを荒井さんに書いてもらおうとしていたんです。実際に会いに行ったときは、荒井さんは絵を描いていらっしゃったので一目で荒井さんだとわかったので「これ…作ったんですけど、絵描いてもらえませんか?」っていきなり言ったのに、「いいよ」って言われたときは驚きましたね。(笑)

 

―曲も聴かずにですか?

 

聴かずに。(笑)「ちょっと聴いてみたほうがいいと思うんですけど、」っていったんですけど、「いいよいいよ、描くよ」って(笑)

 

―初対面ですよね?

 

そうです。(笑) 音楽って全部を教えられるわけではないので、聴いてきたものを自分がどう消化して今に至っているのかは人それぞれで、実は私自身もよくわかっていないんです。でも「巡りあわせ」や「縁」を、私は音楽を通して教えられてきた気はします。実は必ずしも音楽だけではなくて、「あっ小さい花咲いてる」っていう日常の小さな部分に感動を覚えたりもしますし、絵や雑誌をみてもそう思います。

実は朝を録音しているときも家族みんな怖がっていました。「この子大丈夫かな、なんか変な方向に行っちゃうんじゃないかしら」って。(笑)そういうこともあって、朝録音しているときに部屋に急に母親が入ってきたりとかもしました。(笑)

 

―山崎さんが朝を録音をしていた中学生時代には身近に朝録音の良さを共有しあえる友達はいましたか?

 

いなかったんですよ、でも小学生の時にラジオ仲間っていうのは3人いました。自分たちでラジオ番組を作るんですよ。

ラジオドラマとニュースに分けて自分たちなりに即席でネタを造ったり、あとは「これを聞いてる10歳のあなた?」とか自分たちにも問いかけたりしてましたね。(笑)

 

―そのラジオ仲間というのはクラブか何かだったんですか?

 

クラブとかではなく、有志で集まってやっていました。クラスでは「新聞がかり」っていうのを担当していました。自慢なんですけれど、結構いい新聞だったんですよ。他の学年が参考として見に来るくらい面白い新聞でした。

わたしはインタビューの担当だったんですけど、清掃事務所に行って「おじさんはどうしてこの仕事選んだの?」とかケーキ屋さんに行って「なんでこのケーキを作ろうと思ったんですか」とか聞きに行くんです。そうすると、「あのね、甘いのが子どもの時食べられなくてね」とか教えてくれるんです。子どもの良い所は、裏があって聞きに来てるんだろう、っていう変なフィルターみたいなのがないので、大人が素直に色々と教えてくれるところだと思います。そして当時は録音機がないから自分で書かなくちゃいけない。「一番のおすすめのケーキはなんですか」「娘の名前を入れたタルトだよ」とか。そこで、この人は娘がいるんだーって自分なりに解釈したりしていました。

でもインタビューのコーナーって言うのはあまり人気がありませんでした。小学生はクイズとか学年で誰がかっこいいかランキングとかの方が気になるものですよね。(笑)あとは一日中迷路を書いているクラスの面白い人にすごい難問の迷路を書いてもらって、それを載せたりもしました。迷路の思い出といえば、小学校5年生くらいの時に「迷路をするための空き教室を提供してほしい」って頼んで、許可が下りた教室に中休みとか昼休みとかに新聞がかりが集まるんですけど、マンガを読んだりとか情報収集だよねーって遊んでたりしてました。(笑)

 

―通ってた学校って普通の小学校ですか?(笑)

 

普通の小学校ですよ。でも新聞の価値が学校的にも大きくなってきて、夏には増刊号を出したりしたんですけど、だんだん内容も幅が広くなってきたことで先生に呼び出されたりもしました。今思えばちょっと極端な事も書いたりしてたのかもしれないんですが、とにかく日常にあることを楽しくしようとしてましたね。

6年生になった時は、空き教室の真ん前でコンサートをしようと企てたり、それから冬の雪上サッカー大会もしましたね。青森の出身なので、雪でボールなんて見えないんですよ。ボールも敵も味方もわかんない(笑)。とにかく騒がしかったです。でも当時は録音めいたことはラジオ番組作りくらいしかしていなくて、当時は「なんか自分の声じゃないみたいね!」ってところに感動を覚える程度だったんですけど、

中学生になった時に、「あっやっぱりあの時間って一回きりだったんだなあ」ってだんだん感じるようになってきました。

 

 

―子どもの時から、山崎さんが色んなことに挑戦や行動されてきていることが分かったのですが、それはバンド結成の時にも色んな試行錯誤があったのでしょうか?

 

専門に通っていた時に、先生に学校をやめるように言われたときがありました。その時に先生に「バンドを始めたらよいよ」っていう言葉をいただいたので、下北沢に週六くらいで通うようになりました。下北沢ではたくさんの人に出会いましたね。もしわたしがバンドを始めるのならば、これはぜひ取り入れたい、っていうこととか、これは守らなくてもいいかな、なんていうのも何となく感じました。ちょうどそのときに「バンドを作るというのはどういうことなんだ」っていうことを一緒に考えてみたんです。

たくさんのバンドを見て、唯一どこでもやってなかったのは、人の姿をみせずに音楽「だけ」を聴かせるやり方。もしその音楽が良いものだったら、絶対に歌っている人が気になってしまうだろうし、とにかくビジュアルから入ってしまうので、音楽だけを走らせるって実は結構難しい。そもそもライブじゃないやり方でないと音楽だけを聴かせられないと気付きました。じゃあこれは録音してしまえ、ということで、お店に置きにいった。何もレールがない所を、もしかしたらこっちに道があるかもしれないっていう風に手探りでやってみたりもしました。

 

―空気公団さんの曲からは行動や挑戦などというテーマをあまり感じない、どちらかといえばゆっくりとした時の流れを感じるのですが、意図的に感じさせないようにされているのでしょうか?

 

そうですね。会えばわかるというか。私的に表から励ましてるとかもないし、みんなで肩組んで騒ぐ、みたいな感じでもないから、どちらかといえば「あなたのそういうところが魅力的よね」という感じ。その人の知らなかったこと、気づかなかったすごく小さい変化とか、ず――っと心の中にたまっているもの、そういうものを知れるような何かを表現したいなって思っているので。

あとは歌いながらも、自分がナレーションでありたい。あそこにいる彼女と彼が何を言い合っているのとか、喫茶店でお茶を飲んでいる彼がなぜ物思いに耽っているのだろうかはわかんないけれど、それを俯瞰的でみる役になって曲を作るようにはしています。

 

 

―現在・過去とお伺いをしてきましたが、「未来」という時間に対してはどんな風にお考えでしょうか?

 

実は私、ものすごく計画するのが好きなので、例えば2020年までにこれするぞっていうのを考えて、ここまでにこれをリリースしたい。あれをやりたいっていうのが次から次へと出てくるんです。

 

―すごいですね。作りたいっていうのは、それは曲ベースから始まるのか、それとも「こういう思いを形にしたい」から入るのか、自分なりにルールなどはあるのでしょうか?

 

今のところ曲ベースではないんですけど、一度しっかりとしたルールを決めてしまうと、ある時違う道が出来てしまったときに自分の首を絞めてしまうことになるような気がするので、決めていません。例えば絵本でいうとおしまいを決めないということです。ただそれを人生に置き換えてみると、無限大過ぎて迷いますよね。だけど、ある程度こんな感じでリリースしたいって考えていくとやっぱりそこを目指していくことができるので、ちょっとここから出てはいけないよっていう見えない何かを建てる感じなんですよね。そうしてそれで私は追い込まれるわけではないんですけど、そうすることで逆に楽に楽しめるというか、本当にやりたいことがやれて楽しめるんじゃないのかなって思いますね。

 

―山崎さんはこれまでの人生で、自信を無くされたり、やってみたいけれど自分なんかじゃできないんじゃないか、と思われたことはありますか?

 

「私にはできない」っていう感覚がよくわからない。昔親に、「あなたは何でもできるんだよ」って言われたときに、人っていろんな可能性を秘めているんだなって感じた事がありました。でもそれを開花させられるのかは、実は自分次第だと思っています。出来ないって自分自身で決めつけているから、そういう決めつけをほどいてあげる何かいいキーワードがみつかるといいですよね、それが空気公団の中にあるって感じてほしいかも。

例えば私も昔は「財布」がないと、買い物に行けないって思ってたんですけど、いけるんだって思いましたもん(笑)。空気公団の『旅をしませんか』という曲に「ぼくには何もないよ、だからどこへでも行けるのさ」っていう歌詞があるんですけど、それまでは何かないとどこにもいけないと思ってたので、自分で歌いながら聴いて「うわっ」って思っちゃったんですよ。パスポートがないといけない、とかその日空いてないからいけない、という決めつけは本当にもったいないなって。

何もないからどこにでも行けるのならば、例えば仕事があったらその仕事をできるだけ早めに終わらせて、何もない時を作って出掛けるとか、知らない街に行くというのも、知らない道を通る、それだけで全然違うと思うんですよね。「サンフランシスコはちょっと遠いわ」っていきなりレベルの高い所からスタートしなくても良いと思うんです。いつもここで曲がるんだけど、ちょっと今日は違う道を通るとか、入る機会のなかったお店にあえて入ってみるとか、あの人いつも気になるんだよなって人に声をかけてみるとか。失礼にならない程度に、何かちょっと捻るだけで、世界がばっと変わるような気がします。

 

 

―最後に街についてお伺いさせてください。青森ご出身ということで、幼少期に過ごされた田舎での生活と、東京に上京してきてからとでは、暮らしている町の雰囲気が変わったと思いますが、山崎さんが暮らしている街が変わったことでなにか心情に変化はありましたか?

 

田舎の良さが分かったとは思います。でも東京は単純に私の「憧れ」で、憧れをばっと除いたら実は東京も青森と同じでした。東京の中にも田舎と変わらないくらいの小さい花とか咲いてますもんね。人も同じ。東京の人が冷たい、だとかは感じた事がないです。

何でここに、この虫がいるんだろう、とかそれは全然変わらないと思います。

 

―ちなみに、山崎さんの好きな街はどこでしょうか?

 

1番好きな街は「空気公団」です。

 

―最高にカッコいいお答えです。

2018年12月16日まで今回のライブツアーが続いていますので、ぜひどこかの街で皆様に空気公団という街を感じてほしいと思います。

今日は本当にありがとうございました。

 

空気公団ライブツアー2018『僕の心に街ができて』

08/25(土)埼玉・senkiya

09/15(土)仙台・カフェモーツァルトアトリエ

09/17(月/祝)山形・とんがりビル KUGURU

09/22(土)名古屋・三楽座

09/23(日)大阪・SPinniNG MiLL

10/20(土)長野・上田映劇

10/27(土)高知・蛸蔵

10/28(日)香川・umie

11/03(土)山口・シネマ・ヌーヴェル

11/04(日)福岡・ROOMS  

11/10(土)沖縄・桜坂劇場ホールA

11/16(金)京都・磔磔

11/24(土)韓国・空中キャンプ

12/16(日)東京・日本橋三井ホール

 

撮影協力:CAFE SEE MORE GLASS

写真:土田凌

文:早川遥菜

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출처: https://www.andstory.co/catalysts/880/interview

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