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공중캠프

2014.09.03 17:55

コメンタリー:1. 時の話
「遠近(おちこち)に」の曲解説は一曲目だけを残しておいたが、最後の解説は次の作品がリリースされる時にしようと思っていた。「ロックンロールのはじまりは」のリリースが間近になった今、やっとこの「コメンタリー」シリーズを締めることができる。

「知らない家」のところでも書いた高野文子さんの漫画の中で一番好きなのが『棒がいっぽん』(大関泰幸監督によるスカートのMVにも出てきましたね)所収の「奥村さんのお茄子」で、そのテーマはあえて言葉にすれば「時間を隔てたどの一瞬とも、現在は繋がっている」ということになると思うけど、これは僭越ながらエマソロの全体を通していつも僕が表したいと思っていることでもある。ただまあエマソロの場合その言葉は「現在」よりも「隔たり」の方により重点が置かれている気もするけど(「奥村さんのお茄子」も同様か)。

今年(2016)でちょうど僕は松永孝義さんが亡くなった時の年齢になったけど、ヘヴィな低音のイメージのある松永さんの亡くなった時に僕がふと浮かべたイメージはなぜかそれとは全く逆で、ぜんぜん低音のないループが高い方へと繰り返し上っていくような、ふわふわ・きらきらしたものだった。ベースはバンドのパートの中で一番「時」を操れる楽器だから、そんな風に自分でイメージを作りたかったのかも知れない。

全く違う話になるがイギリスのドラマ(映画?)に『Stuart: A Life Backwards』というものがありその作品自体もとても良いのだが、「backwards」つまり時を遡って物語を進めてゆく方法、もちろんそれ自体はそう珍しくはないが、ものごとを backwards に語るということがなぜかずっと頭にあって、こんな曲のタイトルになったのだった。

「遠近(おちこち)に」ができて、エマソロの方向性が良くも悪くも絞られてゆく中で、一番聴いていたものがTrojanの名スカ以前/スカ/ロックステディコンピであるアナログ三枚組の『The Trojan Story』と、イギリスの BBC Radiophonic Workshop で1960年代に活躍した電子音楽家 デリア・ダービシャー(ただしこの方の音源は盤ではなくデータでしか持っていない。盤を買いたい〜)の2アイテムという、めちゃくちゃな組み合わせだった。もちろん理屈をつければレゲエは録音技術だけで言ったらブリティッシュ・サウンドのマナーに基づいているから、関連があると言えばあるけど、それよりもデリア・ダービシャーの音の、ふわふわしているのに時たま容赦なく現われるノイズのざらざらした感じが、こちらは長年接している初期ジャマイカ音楽のざらざら・ぴちっとした感じと、グルーブの違いがありながらも自分の中では並行して流れることができるような気がしたのだ。

そういうわけで「時の話」は「ロックンロールのはじまりは」に繋がっていったのだけど、「時の話」は僕の中では決してアバンギャルドな曲ではない。最後のコードはメジャーの6度だし、本当はちょっとたそがれて終わるような楽曲になっていると思っている。それも録音が終わり、ツアーで何度もこの曲をやってみて初めて気がついたことだけど。

しかしますます時を backwards に進めることになじんでくる年齢になって、それを表現することにはより優れたやり方を求められますよね。広瀬正「マイナス・ゼロ」のように、遡るのはお気楽にできても、前に進めるのは生涯をかけてやらなければいけないわけですからね。


コメンタリー:2. 新しい約束

北村です。これから、アルバム「遠近(おちこち)に」の曲について少しずつ書いていこうと思います。もちろん、アルバムを聴いてから読んでくれた方がうれしいです。解説というより、映画の DVD についているコメンタリートラックのようなものにしたいと思ってます。
まずは2曲目「新しい約束」から。これはいわゆるジャッキーミットゥータイプのロックステディオルガンに真っ向から取り組んでみたいと思って作った曲です。僕に限らず、これは意外と難しいことです。なぜなら、僕らにとってレゲエやロックステディは音楽の一ジャンルかも知れませんが、ロックステディ時代のジャマイカのミュージシャンにとってレゲエはいろいろある音楽の中の一つではなく、むしろ、ポップス、ロック、ソウル、ムードミュージック、ジャズ、等自分達が演奏するすべての音楽を包括するものとして(もし意識したとすれば)レゲエがあったからです。僕らはある曲をレゲエ風にアレンジしますが、彼らにとっては「音楽」を作ることでしかない、そこには絶対的な差があるのです。
まあそれを突き詰めると精神論になってしまうのでもっと引き寄せて言うと、ジャッキーミットゥータイプっていうのはリズム、メロディ、アレンジ、それらに独立した特徴があるわけでなく全体で成り立っていることなので「こうすればジャッキーミットゥーになりますよ」というマニュアルはなく、また僕はそれを TR-808(ヤオヤ)と DX100 と、パストラルサウンドのグランドピアノでやろうとしているのでさらに難しかったです。
でも、これは、1989年にニュージャージーでジャッキー・ミットゥーからシャツにサインをもらった時に「僕はこの人と何かを約束したんだ」と感じたことに対する返答なので、ぜひアルバムの始めの方にこういう曲を置きたかったのです。普段から「Full Up」のようなハネ系でベースが連打するトラックが好きなので、バンドではないのだが人間がザックザックとカッティングする、その強さを常にイメージして、メロディはその中に浮かぶように。ノリに関しては自然にやっているように聞こえるとうれしいですが、実はかなり気を使っています。
ミックス中になぜかベースのことしか考えられないような状態になり(当然ベースはすべての基本なのですがそれ以上に)、ピースミュージックの AMEK の卓 EQ を延々いじりました。


コメンタリー:3. Two Friends

例えばひとつ自分のやりたい要素があったとしてその要素だけで一曲を作ってしまうのでは、今までその要素に対して積み重ねられてきたことにわざわざ自分が何かを加える意味がないし、第一自分が納得できない。そんなわけで、自分が何かを作るということは必ず何かと何かをミックスすることになる。
この曲はそんなミックスの分かりやすい例だと思う。意外にも自分では前半のメロディはアフリカンジャズだと思っている。そしてダンスホールレゲエ、Dizzy Gillespie. バニー・ウォレル… そもそも美空ひばりの「ロカビリー剣法」とか Honest Jons のコンピに出てくる Rock N Roll Calypso のようなものが好きというのもある。
ただ勘どころは「何を」ミックスするかではなく「どんな気持ちで」ミックスするかだと思う。それがないとただのマシャップだからね。僕のイメージは「良い」友だちと「悪い」友達から交互に誘われてる感じ。その揺れ揺れ感が、一番やりたかったこと。two friends っていうのは ’90 年代のダンスホールのレーベル名でもあるし。実は ’91 年に「エキゾチカ慕情」というコンピに収録され、当時のクイズ番組にも使われた僕のストーンズのカバー「Satisfaction」で元MUTE BEAT のドラマー今井くんが作ってくれたトラックへの返答の意もアリ。


コメンタリー:4. 10時の手帖

子供の頃は体が弱かったので、よく学校を休んだ。熱を出して朝から布団に入っていると、ラジオが「まもなく朝10時、○○デパート開店の時間です」というアナウンスをしていた。タイアップの番組だったのだろう。そのデパートは僕もよく知っていて、大きな大理石の踊り場が印象的で、名前の分からないクラシックの BGM とリンクしていた。
この曲のリズムマシンは一部を除いてほとんど、音色そのものからアナログシンセで作っている。このような CR-78 的リズムマシンの音はスライや Timmy Thomas のようにアンプを鳴らしていわゆる「空気感」を持たせて録った方がミックス的にはまとまるのだが、この曲のリズムのことを考えていたらむしろ、僕とオルガンがリズムマシンの中に入り、電子回路の中で演奏しているようなイメージが膨らんでしまい、結果オルガンにリバーブがかかりリズムマシンはドライ、というミックスになった。
で、リバーブ > 踊り場 > デパート > ラジオ > 風邪で熱、という想像をたぐっていたわけだが、最近になって、僕が聴いていたラジオ番組の名前が「まるい手帖」というものだったことを知った。朝、熱でちょっとシュールになった頭に響く大きな踊り場のクラシック…曲名は、そんなとこです。
この曲の原型はかなり昔に作っていて(多分アルバム中で最も古い)’96年に一度だけエマーソンソロをバンドでやろうとしたことがあって、その時のベースも松永孝義さんにお願いした。松永さんはこの曲のブリッジ部分の転調を聴いて「へへへ〜、モンク(ジャズピアニストの Thelonious Monk)みたいな転調をやりたいんだろう〜」と、良いと言っているのかけなしているのか分からない反応をした。なぜかそのことだけをよく覚えている。


コメンタリー : 5. 下北六月

ザ・スライ(アンド・ザ・ファミリーストーンの方ね)ベースライン!下北はいつでも下北、ロックの街でもこんなビートの時もある。ひと月過ぎたけどこの季節は、よく夕暮れ前に空を見る。一面に拡がった雲を見る。
アルバム制作初期の見込みでは、割とどの曲もこのような一発録りスタイルになるつもりだった。リズムボックス(ただし手作り音色がアナログ同期で加えられている)に、ベースもコードもメロも同じテイクで演奏・録音というやり方だ。実はベースラインは、曲の途中で左手から足鍵盤に移っている。
当初は一発録りだから簡単だろうと思っていたのだが、自分が思う演奏のニュアンスをクリアすることと、テイクとして人に伝わる腹の据わったものであることとのバランスを取る上で、タイミングや強弱、音符の長さといった演奏ニュアンスの部分は一発録りだからといっておろそかにしたくなかった。逆に人に伝わるふんわりした感じとか腹の据わった一期一会の感じとかは(その人その演奏の問題であって)必ずしも一発録りすれば出る、というものでもないだろうと思えてきた。
それでレコーディングの後期からは普通のダビングで作るという、ある意味逆行したやり方に戻したりした。さらにややこしいことに、そのやり方でかなりの曲を録ったあとで「やはり一発録りしよう」と思って録ったのかこの曲だった。
… などなど、「遠近(おちこち)に」の曲たちは、ふんわり録っているように見えて実はそうではない。それが良いことであったかどうかはわからないが、世にある「ふんわりしたやり方を採ればふんわりした音楽ができる」という考え方は結構ウソなんじゃないかなあと、実感として思っている。


コメンタリー : 6. トロント・ロック

カナダのトロントは’70年代の一時期にニューヨークに渡って活動していたジャマイカのミュージシャンらが ベトナム戦争に徴兵されるのを避けるために再移動していた街だ、という話をかつての「RM」誌で読んだことがある。ジャッキー・ミットーにもそこで録った「Reggae Magic」というアルバムがある。ただしこの曲はそのタイプの音を目指したわけではなく、時代感でいうなら’90年代の打ち込みレゲエ。
ニューヨークでもロンドンでも、ジャマイカから渡った彼等のスタジオは、台所に機材を並べたような文字通りの「宅録」スタジオ。しかしそこは僕らがいう「宅録」とは違って、自分達がその社会に打って出て行くための大事な足がかり。チープな機材(だと彼らは思ってないし)の打ち込みにどんな気持ちを込めていたのか。
ジャマイカ – トロント間にはまったく及ばないが、僕も子供のころは北海道と関西を頻繁に行き来していた。どこにいても「ルーツはここじゃないどこかにある」という感触が常にうっすらとある。そのせいではないと思うのだけど、「音楽に国境はない!」と声高に訴える音楽よりも、「国境は、ある。しかし否応なくそれに翻弄されてるうち、いつの間にか境界をこえて、こんな風になっちゃった」という音楽の方に、はるかに美しさを感じる。
シュガー・マイノットの打ち込みアルバムの裏ジャケに、やはりチープなスタジオで白人ミュージシャン(明らかに眼がいってる)とニッコニコで写っている写真があって、その感じが一番近い。
この曲には非レゲエネタもありますよ。上がったり下がったりするフレーズにハーモニーがつくことが好きで、その元はファッツ・ウォーラーの「Jitterbug Waltz」。またちゃんとカバーしたいな。


コメンタリー:7. The Call-Up

このコメンタリーは2曲目から始まって、その後はアルバムの曲順通りに書いている。そして、ここでカバー曲が登場することになる!
イギリスのロッカー、イアン・デューリーがブロックヘッズに先だってやっていたバンド、キルバーン・アンド・ザ・ハイローズが1974年に録音したアルバム「Handsome」から。後のパンクやパブロックにつながるロックンロールなのにレゲエやカリプソ、’50年代のポップスやムードミュージックがふんだんに取り込まれていて、要は、もし北村が歌を歌えたらこういう音楽をやりたいと思わせる、ど真ん中のアルバムだ。イアン・デューリーの音楽が素晴らしいところはパーティー音楽であることを外さないのに、歌はどこか寂しげだったりするところ、言い換えれば、言葉に非常な重きを置いているのに言葉だけでは成り立たず、バンドのビートがあってはじめて伝わる言葉を書いていることだ。江戸アケミさんの the most favorite ヴォーカリストだったりもする(余計なことだが、JAGATARA のファンならばこういうところを押さえて欲しいのだ)。The Call-Up という題名も中心的な意味は「徴兵」だと思うが曲中ではいろんな意味が重なっていて英語と日本語を一対一では訳し切れない歌詞になっており、それがカリプソディスコに乗ってサックスが炸裂し、パンが受け、コーラスがまとめる、などなどなど、ああ素晴らしい。The Call-Up という題名自体は The Clash にもあったけど別曲ね。
北村のヴァージョンは素直に、そのオルガンヴァージョンをやったということ。このアルバム制作のかなり早い段階で、当時神楽坂にあったシアターイワトを使わせていただいて、オルガンをダビングした。オルガンは日本製のハモンド X-3。ハモンドオルガンのハードに関するオーソリティである山本力さんに長年面倒を見てもらっている楽器で、この曲ではなぜか予想以上に音が抜けたな。
トラックの方針は、16ビートとか知らないドラマーがパンパンに張ったスネアを叩くサウンドと、BOSS DR-110 という’80年代リズムマシンのサウンドの合体。イントロのキックがフェーダーで持ち上げられるというのはオリジナルへのオマージュで、マスタリングの際 M’s Disk の滝瀬さんにわがまま言って、やってもらった。


コメンタリー: 8. 王冠

ライジングのために帰った実家で、残してあるエレクトーンに触っていた。そうこのエレクトーンについているリズムボックスは既にサンプリングしてあって、「王冠」に使ったんだった。普段あまりにワングルーブの曲が多いので、JAGATARA じゃないけれど、ワングルーブだけどキメがあって、展開があって、という曲を作りたかったのだ。でも、リフの絡みでリズムを作る演奏は詰めてゆくとどうしてもクールになってゆくな、一人でもバンドでも。まあもともとこの曲のグルーブのイメージはちょっとバーチャルというか、エレクトーンを弾くアフリカ人アーティスト、フランシス・ベベイのように、自らを客観的に見た上で作っているグルーブというところがあるから、バンドで人間が産むグルーブとはちょっと違う感じに仕上がってもいいのかも知れない。だから、トーキング・ヘッズとか今でも有効なわけだよな。イミテーションの宝石が散りばめられた王冠のような ..,
と、いうようなことを制作時には考えていたことを、実家のエレクトーンに座りながら、思い出した。
まあそんなことを抜きにしても、かなり変わった制作方法で作っていることは間違いない。楽器のクレジットは、お客さんに手の内を見せるのは失礼という発想からしなかったけど、アルバム中でこの曲のみ YC-10、エゴラッピンの録音でも多用しているオルガン。個人的に好きなのは 808 のコンガの八分連打、で確か、808 の信号でサンプラーを鳴らすという、アナログの極みな方法でトラックを作ったと思う。アレシスのリズム音源をアナログ→MIDI の逆変換機として使えば、できるのだ。
というマニアックな話で終わってすいません。とにかく、コンピュータ上で揃えて完成、という作り方は、一曲もしていないのです。それはバンドのない自分の、せめてもの「熱」をこめるやり方なのです。


コメンタリー: 9. ニワ

YOSSY Little Noise Weaver がものすごく良い、そして、曲の感じをすごく生かしたカバーをやってくれているのだ!YLNW / Tucker / エマーソンのライブではそうやって、互いの曲をカバーし合ったり参加し合ったり、有機的な音楽作りをしています。観て下さいね。
で、ニワというのは商家の表と裏をつなぐ土間のことで、生涯かけて日本人の住み方の膨大な記録を取った西山夘三さんの本にあって … みたいな話はまた MC に取っといて、ブライアン・イーノは、きっちりアンビエントしちゃう前の「Another Green World」くらいが一番好きなんすよー、という話。
エマソロの電子音楽度合いというのははなはだ中途半端なんだけど、実はアルバムを作るにあたっては、パッチシンセで延々インプロなんてのも録ってあったりする。結局それらを使わなかったのは、そういったテクノ通過後の電子音楽が持つ「自由」よりも、初期のシンセ音楽家達が譜面に書いた一音一音をシーケンサーに起こしてゆくような「不自由」さの方に、電子音楽の醍醐味を感じてしまうからなのだ。テクノ後のシンセ音楽で好きなのは Matmos の supreme balloon くらいかなあ。本当に「遠近(おちこち)に」の全体を通して、当初予想したよりもインプロや一期一会の要素は 少なくなった。ひょっとしたら、自分の力を出し切れない、こじんまりとしたアルバムになってしまっているのではないかと思うこともあった。本当のところはわからず、皆さんの感想を待つのみだが、今自分が一番心の動くやり方はインプロではなかった、としか言いようがない。
その代わり、ロングトーンのコードをシンセの VCA でゲートのように切る、と言った手間のかかる方法は使っている。僕らの世代のトラックメイカーでも、コンプのゲートでリフを作るくらいのことは、みんなやっていたのだ。
まあ言ったら、その方が「ニワ」(箱庭)な感じに、なるでしょ?
僕は超常現象は一切信じないが、子供のころ実家の店でぼんやりしていると、ニワの隅っこにはいろんな不思議なものが生きている気がしたものだ。電子音楽も、電子音に住むムクムクした命を見つけ出す作業。アンビエントだの感覚の拡大だのには興味がないが、その程度には、不思議なことを信じてる。
この曲におけるミックス: そんな曲でも、ベースはレゲエファウンデーションの「General」的なラインを織り込んでます!


コメンタリー: 10. 知らない家

この曲のことは「遠近(おちこち)に」オフィシャルリーフレットにも書いているので、それにないことを少し。
元々言葉関係の表現は好きだが、自分でやるつもりなどさらさらなかった。今回のアルバムには最初からゲストを一切入れないつもりだったが一つだけずっと入れたいと思っていたものがあって、それは ECD のラップというか声だった。
さすがに歌詞まで丸投げするわけには行かないから、自分で書くしかない。友人の Manuel Bienvenu に「Good Luck Mr. Gorbachev」というリーディングの曲があり、こういうテイストを目指すなら歌詞を書くのもアリかと思った。
高野文子さんのマンガ「るきさん」に、自転車に乗っていて落としたせんべいのことを、自分にとってはすぐ近くだが「せんべいにとってはかなりの距離だ」と思いを馳せるシーンがある。そのセリフがなぜか自分の中の口癖のようになっていて、「A にとっては○○だが、B にとっては結構な距離だ」という A と B の組み合わせをいろいろ考えてみようというのがこの曲の歌詞の出発点だった。
そうしてできた歌詞をとりあえず自分の声で録音し、デモを ECD さんに聴かせたら「僕がやることには問題ないが、これは絶対北村がやった方が良い」と言って頑として譲らず、結局自分がやることになった。
これが自分でもまさかのリーディングをやることになった経緯だが、でもこの曲で本当にコメンタリーしたいことは歌詞ではなく音楽の方。リズムマシン 808 の「カウベル」の音色はヤン富田さんのジョンケージカヴァー「4分33秒」を待つまでもなく、自分にはこの音色を使う器がないと(笑)エマソロでは一切使わなかったのだけどついに使ってしまった。もはやそういうこだわりもどうでも良くなってきた … みたいなこと。
また意外にこの曲でかんばったつもりなのは、曲のコード感。もちろん、ロバートワイアットの「muddy mouth」に影響を受けている。
自分ではこの曲はレゲエのトースティングだと思っているので、バックトラック+リーディングという関係ではなく、声がなくても成り立つ曲にリーディングを足している形にしたつもりだ。先月(2014年8月)北海道ライジングサンからこの曲を(弾きながら語るという方法で)ライブで演奏し始めた。しっかり声を出しながらもどこかトラックに埋没する気持ちで、と、やりながら考えていることは普段楽器を演奏する時と意外に変わらないものだ、ということを始めて体験した。


コメンタリー: 11. 橋からの眺め

古今東西南北、橋を題材にした曲は多いですね。スカの名曲 Bridge View(これは地名だと思う)、キンクスは Waterloo Sunset、A View from the Bridge なんてのもある。大体僕も含めて人はやりきれなくなると橋のところをぶらぶらするようで、そんな「橋」ソングの系譜にこの曲は入れてもらえるのだろうか …
レゲエもブルースも好きだけど、音の構造にはずいぶん違いがある。表わしている気持ちには共通するものを感じても、それを成り立たせている勘どころはたまに正反対な場合すらある。特に、レゲエに特有の「ど」マイナーキーによるブルース感覚、みたいのは、メジャーキーのポップソングが好きな北村にとっては扱いの難しいものだ。Taj Mahal を聴くとそれがいとも簡単に超えられているのに感激するのだけど、聴くとやるとは大違いで、Taj Mahal がさらっとそういうことをやっているから自分もそういう曲を作れるような気になると、めちゃめちゃ苦労することになる。… みたいなことがこの曲を作っていた時に思ったことだった。
でも、意外にこの曲は「育った」かもしれない。北海道 RSR フェスの草むらで、大阪カレー屋のちゃぶ台の上で、演奏した時の何かを、曲の方も吸い取って帰ってきているのかもしれない。
この曲の録音は今はなき神楽坂の「シアターイワト」で録らせてもらった(神保町「スタジオイワト」さんとは別)。時期もこのアルバムの中では次の曲、Accustomed に次いで古い時期に録音した。ミックスもアルバム中で一番早く、テスト的にミックスしたものをそのまま使った。なので録れた音はいろいろでこぼこしていたのだが、m’s disk 滝瀬さんのマスタリングを施された瞬間に、何かが完成した。滝瀬さんの話では、既にぎっしりと詰め込まれ、低音も高音もトリートされ尽くしたミックスよりも、でこぼこの残っているものの方がやり易いそうだ。その、パッと拡らける感じは「知らない家」の次に合うかも、と思って、試しにやってみたら、予想以上の感じがあった(当初は別の曲順にする予定だった)。まあもちろん「知らない家」で橋まで行ったから、次はそこから眺める、というのもある。
こういうことは、良くなかったことよりももっと、覚えておくべきことなのだろうが、それを次に活かすことは、反省することよりも難しいね。


コメンタリー: 12. I’ve Grown Accustomed to Her Face

アルバムを作っている時は後半の曲が地味かなあ〜と思っていたのだが、自分の周りの感想では後半の評価が高い。ありがたいことだが、こういうことは絶対に自分一人では予想できないなあ〜。
エマソロの楽器には二種類のパターンがあって、今では YAMAHA DX100 というミニシンセでライブすることも多くなったが元々はオルガンを弾くのがエマソロだった(だからDX100も2台並べている)。アルバムも初期には全曲オルガンでいこうと思っていた。この曲はその時期に録ったものでアルバム中最も古く、2009年の夏。シアターイワトは劇団黒テント(高校生の頃観てた)が拠点として維持していた劇場で、以前は多分倉庫か商家だったものを改造したのだと思う。かねてから自分の理想のスタジオというのがあって、それはあまり創作の場っていう感じがなくて、地元の商店やら町工場みたいな場所というイメージなので、ぴったりだったのだ。実際録ってみると残響の多さに苦労したが、それもそもそも狙っていたことなので、録れたものを落ち着いて聴いてみて、これでいいじゃんということになった。この曲はミックスすらしていない。ラフミックスそのままで、どうしてもこれを超えるミックスが作れなかったのだ。
親の話では6才ころ、楽器店のショーウインドウにあったヤマハエレクトーンに触りたがったというのが、僕のオルガン歴の始まりだ。エマソロのイージーリスニング感はそこから生まれているから、オルガンにしてもジミー・スミスやキース・エマーソン(笑)のようなゴリっとしたものよりもビル・ドゲットやワイルド・ビル・デイビスのようなイナタイもの、あるいはルー・ベネットやローダ・スコットのフランス録音のような、手回しオルガンからの連続をちゃんと感じられる音の方が好きだ。(一番好きなオルガンプレイヤーはフランスのエディ・ルイスだがその話はまた別に)それで「ステレオでなくモノ」「部屋鳴りによるリバーブ」という、この曲の録音方針ができた。一見逆のようだが、僕はオルガンには機種のこだわりが全くない。つきつめればオルガンはサイン派発生器の集合体、ある意味では最高のテクノ楽器だと思っているので、例えば逆に DX7 は立派にオルガンだと思っている。楽器の音色自体には情感が乏しくて、そんな音色で情感を出せる演奏をすること、なぜかそこにはこだわりを持っている。さらに、そのことを、神楽坂の元倉庫の劇場で録りたかったのだ。こだわってるのかこだわってないのか、自分でもめんどくさいな〜と思う…
アルバムレコーディングの後半になって、もう何度かシアターイワトを使わせていただいたいと思ったがその時にはもうなかった。でも平野さん、ありがとうございました。
それで、曲のこと。ミュージカル映画は大好きだがこの曲が入っている「マイ・フェア・レディ」はそんなに好きではない。斉藤和義さんのコメントにもあるように、ウエス・モンゴメリーのライブアルバム「Full house」収録曲の方がきっかけだ。実はいろんなアレンジでずっとやっていて、いつまでたってもベストのアレンジが見つからなかった。ここでひとつの結果を見たような気がするが、それは一番「普通のオルガン演奏をする」というものにだった。


コメンタリー: 13. 夜中

こんばんは。秋らしくなってきましたね。
この全曲コメンタリーもかなりの所まで来た。このコラムはマニアック解禁にしているので読みづらい方には申し訳ないと思っているが、「読んでます」と感想を下さる方もいて、力づけられる。ありがとうございます。

普段は「自分はオルガンプレイヤーすから」とピアノにはあまり興味ないふりをしているが、実は、ピアノ、すごく好きだ。人から習ったことがないことでどことなく引け目を感じているが、高校生のころはピアノのあるところに行って個人練していたこともある。
その頃どんなのが好きだったかと言うと、モンクは別格として、ダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)の African Piano。練習したな。実はいわゆるワールド・ミュージックへの接近ルートとして、パンク→レゲエという道のりの他に、このような(オルタナティブな)ジャズ→各国音楽、というルートも、自分にはある。むしろこっちの方が自分にとっては古く、より自分自身に近かったりする。
でも、「夜中」のような曲の方が、スリーコード・定型小節数のロックよりも、曲にかかってくる重層性という点では、簡単だとも言える。いろんな人がいろんなトライを重ねてきたポップやロックにそのフォーマットでもう一曲足すことの方が、フォーマットから「自由」になった曲を作るよりも、闘わなければならない相手の蓄積は余程大きく、むづかしい。
それでもね、出ちゃうんだこういう曲が。モンクの「Crepuscule with Nellie」には遠く及ばないが、そういうボローンとした、暖かくかつ空虚、みたいなものは、どうしても基本にある。そして僕の場合は、ピアノにローランドの System 100(Mじゃない) を足したくなる。この二つこそ、僕にとっては「最高のテクノ楽器」だからだ。あ、KORG のアナログディレイも。
曲後半の部分は、何度も試しているリフの、一断片。「遠近(おちこち)に」初回特典の「エマソロ・ライブサンプラー」に収録されているパリのカフェでのインプロも、その一つのバリエーション。今回アルバムではインプロを収録するという発想を捨てたため譜面で書ける内容になっているが、ライブにはこれとは別のオチの付け方があるはずと、思っている。


コメンタリー: 14. 両大師橋の犬

アルバムの終り方で好きなものは細野晴臣さんの「はらいそ」。足音を立てて去りかけた細野さんが急いで戻ってきては「次はモアベターよ!」と宣言する。

上野の両大師橋、今は何の変哲もない橋だけど、昭和戦前に桑原甲子雄さんは自分の家の近くのこの橋でたくさんの写真を撮っている。そもそもは「一銭五厘たちの横丁」という本がきっかけだった。戦前の上野で暮らしていた人々の記念写真のその後を追うことで、その後彼らが体験する戦争と空襲の歴史を丁寧に描いて、声高に訴える部分はまったくないのに反戦の意志がしっかり伝わってくる、すばらしい本だった。その写真が桑原さんのもので、そこからご本人の写真集へと進み、犬を散歩させている子供の写真に自分の影が移り込んでいるカットに出会ったのだった(桑原さんの写真の中では、とりたてて有名ではないのかも知れない。近年出版された写真集にこの写真は収録されていない)。

で、音楽のこと。「イチ・ロク・ニ・ゴー」という基本中の基本のコード進行と自分が一番好きなシャッフルスカのビートで曲を作るという、ある意味危険きわまりないことをやったわけだ。キセル兄と話したこともあるけど、シンプルなモノには惹かれるだけに、どんなオルタナな音楽を作るよりも難しい部分があるのだ。リズムマシンにはスカのパターンはやらせず、Roland System 100 で作った、シンセ的には一分で作れる「ピュン」音だけに電子音楽の心意気をこめて、トラックを作った。

自分にはどうしても整理してしまうクセがあり、正しいコードの音、正しいタイミングのリズムにメロディーも演奏も押し込めてしまうところがある。本当はもっとグダグダで、自分勝手で人に迷惑もかけ、わーっと泣いたり怒ったりする気持ちを表したいのだが、できあがるとなぜか折り目正しくなっている。まあでもそこも自分なのかなあとも思う。センエツながら桑原さんの写真が好きな理由もそこだし。

ネタをひとつばらします。エンディングのベースラインは、松永さんがリハの休憩時間などでよく弾いていたフレーズ。元は ink spots なのか何なのか、ニヤニヤしながらブルースやこういった小唄系の、楽器を始めた初日にコピーするようなフレーズをギャグとして演奏していたが、実はすごく良い音だったのだ。それを曲に折り込むという私情?をはさませてもらって、アルバムを終えました。

先日渋谷クアトロのリリースイベントでは、スガちゃん(菅沼雄太)に言わせると「人力では無理な、中途半端なテンポ」らしいこの曲(ホメてくれてるんだと思う)に、お客さんは手拍子をしてくれました。そのビートに送られて松永さんは足音を立てて去り、えーっと、どうやって戻ってくるのでしょうか。やっぱり僕らも「次はモアベターよ」と言い続けなければならないのです、きっと。


http://www.emersonkitamura.com/column/



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